9、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

           「色づく世界の明日から」

 

第九話 さまよう言葉

 

一、ドンカンズ(鈍感な二人)

 

「おススメスポット?」

 

暗室でヒトミはショウに「もっと、今の町のこと、撮ってみたくて、自主練です」と告げると、逆にショウから撮ってみたいもの、例えば、人とか風景、他に動物とか何かあるかと問われる。一瞬言葉に詰まるヒトミだが「全部です」と語気を強める。

 

「そうだな、なら、一緒に行こうか」

「えぇ」

「撮影スポット、連れて行きたいところ、いくつかあるし、俺も撮りたいから」

「はい、よろしくお願いします」

 

ショウはテーブルの手元近くに、ヒトミとユイトが映った写真を見つける。ちらと目を落とすと一瞬顔を曇らせる。不思議に思ったヒトミに「先輩?」言われて「あ~、悪い、何でもない」と答える。

 

部室ではアサギが自分で撮影した写真の中から、文化祭で発表する作品をクルミと一緒に選んでいる。「全部同じペンギンでしょ」というチグサに「違います、チグサ君分ってない」と言い返すアサギ。しばらく写真を選んでいると、ヒトミに視線を送るショウの写真をいくつか見つけて、アサギの顔が曇る。

 

電停のベンチで、路面電車を待つショウのところにユイトが現れる。予備校にもカメラを持っていくのかと問われてショウは、後輩たちも腕を上げてきたから負けられないと答える。

 

ユイトが「ヒトミも結構いいのを撮るようになったしね」と言うと、ショウは一瞬言葉を失う。ユイトは続けて「あいつ、最近よく笑うようになった」すると「あぁ、クラスでもちょっと話題になってるって、アサギが言ってた」とショウが応じる。

 

電車が近づき、ユイトが立ち上がると「ユイト、黙ってるのも気持ち悪いから、先に言っとく、俺、明日ヒトミと二人で出かけるから」とショウが思い切って語りかける。「なんで俺に言うの」すると「言わなきゃいけない気がしてさ」と答える。

 

「意味分んないんだけど」

「俺さ、悩んだり迷ったりって好きじゃないんだ、もうすぐ引退だし、受験もあるし、あんまり時間ないから、後悔だけはしたくない」

「そうか、がんばれよ」

「おう」

 

夜、まほう屋ではヒトミとコハクが話をしている。ヒトミはショウと二人で、撮影スポットや撮影方法などを教えてもらう特訓のような撮影会を予定しているという。「二人で?」の問いに「うん」と答えるヒトミ。

 

コハクが「そっか」と応じると「どうしたの?」とヒトミが尋ねる。「ううん、何でもない、楽しみだね」するとヒトミは「うん、頑張らなくちゃ」と明るく答える。

 

駅横のコンビニで資料をコピーしているショウ。スマホに「はい、楽しみにしています」のメッセージが届く。「俺もた…」と入れようとするが「バンバン鍛えるからな!」というメッセージに変更して送る。

 

場面はユイトの家。ユイトの母は、ヒトミのことが気になって仕方がない。どこから聞いたのか、ヒトミのことを良く知っている。「誰かに取られないように、ちゃんと捕まえときなさいよ、あなた、お父さんに似て、ぼーっとしたとこあるから」

 ※)この場面で、ユイトの家は母子家庭であることが分る、と同時にユイト小学生から高校生の間に父親を失っていることが推測できる。死別か離婚かは明示されていないが、お母さんが「お父さんと似て」と積極的に話しているところを見ると、死別の可能性が高いように感じられる。ユイトは自分を認め、応援してくれる父親という存在を見失っているようだ。

 

撮影会当日、ショウは撮影のための資料をヒトミに渡し、最初に出会った頃の話をしながら、一緒に出かける。

 

たまたま二人の様子を見かけるクルミとチグサ。一見するとデートのように見えるが、撮影会をしていることが分り、このことは他言無用にすることをクルミがチグサに伝える。

 

「あ~、アサギ先輩」

「気づいてたの?」

「気づくでしょ、普通、分ってないのは、あのドンカンズだけじゃない」

「ドンカンズって」

 

夕暮れ時、ショウはお気に入りスポットを案内する。港の見える高台からの風景は、この時間帯が一番いい写真が撮れるらしい。ヒトミはショウの写真に対する姿勢について「すごいなって思います、写真に対して、いつも真剣で」と伝えると、ショウは「そうか」と答える。

 

「ヒトミも、初めて見た時は、心細そうにしてて、なんか昔のアサギ見ているみたいで、放っておけない子だなって思った、けど、いろいろ抱えてて、なのに、泣き言も言わないで、今日も全然めげなくてさ、ヒトミのそういうとこ、いいと思う」

 

「そんな、私、そうやって言ってもらえるのは、コハクや先輩たちのおかげです、私は何もできなくて、先輩が声をかけてくれたから、みんなと知り合えて、コハクが背中を押してくれたから…、1人だったら、ずっと変わらなかった」

 

電停で路面電車を待つ二人。別れの挨拶をしてヒトミが電車に乗ろうとすると、ショウはヒトミを呼び止める。「ヒトミ、ちょっと待って!」ヒトミは立ち止まる。「伝えていない事、まだあった…」電車は動き出す。続けて「…本気で言ってる、俺と付き合ってほしい。「…ご、ごめんなさい」ヒトミはその場から走り出す。

 

ヒトミは途中転んだりしながらも、少し遅くなって家にたどり着く。ショウと連絡を取り心配しているコハクがヒトミを出向かえると、ヒトミは考え事をしていて遅くなった、お腹は空いていないと言って家に入っていく。

 

 

二、気になる人

 

翌日、コハクはヒトミの様子が変だと感じる。

「何か変だよ、昨日帰ってから、心ここにあらずって感じ」

「うぅん、何もないよ」

そこに、ショウが現れると、ヒトミはそそくさとその場を立ち去る。

 

教室でヒトミが「また逃げちゃった」とひとり呟くと、コハクが前の席に腰掛け「ショウさん、びっくりしてたよ」とヒトミに話しかける。するとヒトミは「あのね、例えばの話だけど、コハクは誰かに、好きって言われたことある?」「はいキタ~、やっぱそういう話か~」

 

部活を休んでヒトミとコハクが家に帰る時「どうしたって、断られたら傷つくよ、それでもちゃんと答えが欲しいんだと思う」とコハクが語りかけると「答えって、何?」とヒトミが尋ねる。

 

するとコハクは「ヒトミがその人の事どう思ってるのか、どうして気持ちに答えられないのか、それはヒトミが自分で考えて答えなきゃ」と、相手に自分の気持ちを伝えることの大切さを伝えようとする。

 

教室でアサギがヒトミに声をかける。「何か、考え事ですか」すると「聞いていいかな、アサギちゃんは好きな人とかいる、告白とか、されたことある」アサギはハッとしてその問いに答える。「いますよ、ずっと前から、好きな人です…」

 

「ヒトミちゃんは、その人のこと、どう思っているんですか」

「分らない、そういうの、考えたことないから、私には好きになってもらう資格も、好きになる資格もないから」

「だめですよ、考えなきゃ、その人がかわいそうだから」

 

翌日、屋上でヒトミはショウに自分の気持ちを伝える。

「ごめんなさい、あの時、逃げちゃって、いきなりで驚いて、先輩がせっかく、すっ、好きって言ってくれたのに」

「あぁ、俺まだ、答えもらってなかったんだ、てっきりあそこで振られたんだと思ってたんだけど」

 

「すみません、そういうわけじゃ、あの、最初は戸惑ったけど、うれしかったです、好きって言ってもらえて、私、今まで誰かに必要とされてるって思ったことなくて、沢山、考えました、まだうまく言えないけど、私、ずるいんです、先輩の事傷つけたくないっていいわけして、先輩の気持ち、ちゃんと考えられなくて、自分の事ばかり悩んで、なのに、大事なことから目をそらしてばかりで、私、私」

 

「いいよ、覚悟できてるから」

「まだこの気持ちが本物かどうかわからないですけど、気になる人がいます」

「そうか、ありがとう、ちゃんと言ってくれて、おかげで吹っ切れる、がんばれよ、応援してるから」

「はい」

 

 教室へ戻りアサギを探すヒトミ。コハクによると、今日は部活を休むと言っていたらしい。

 

屋上で寝転ぶショウのこところにユイトが現れる。「何してんの?」の問いに「振られた」とショウが答える。

「そうか、すごいな、おまえ」

「いやみかよ」

「違うよ、ホントに」

 

ショウはおもむろに立ち上がり、大声を張り上げる。

「すっきりした」

「ホント、すごいな、おまえ」

「だろ」

 

玄関にいるアサギを見つけたヒトミは、アサギに話しかける。「アサギちゃん、良かった、間に合って」するとアサギは「あたしね、好きだったんです、ショウ君のこと」そう言うと、アサギはその場を駆け足で立ち去る。ヒトミはその時初めてアサギの気持ちを知る。

 

近くの公園まで走ってきたアサギが一人呟く「ごめんね」

 

 

第九話 まとめ

 

第九話ではショウがヒトミに抱いている恋心について、その告白から終結に至るまでのプロセスが語られている。「悩んだり迷ったりって、好きじゃないんだ」という一本気のショウの恋愛はあっさりしていて、フラれた後でも好感が持てる。しかし、あまりに関係の近いアサギの気持ちには鈍感である。

 

一方のヒトミも、自分の行動がどのような影響を周りに与えるかについては鈍感なようだ。実際にアサギとの関係がギクシャクしたし、ユイトとの関係も、危うい方向へ進んでしまったかもしれない。しかし結果として“気になる人がいる”ことに気がつくことができた。

 

第六話で書いたヤマアラシのジレンマを思い出してほしい。自分の行動は相手だけではなく、周囲の人達も含めて多大な影響を与えてしまう。かといって、行動しなければ何も動かないのも事実である。結果に責任を持ちつつ、濃密な人間関係を味わい尽くす覚悟が必要と言われる由縁であろう。

 

 

では前回に引き続き、交流分析とその具体的な実践方法であるゲシュタルト心理療法、さらにそれらを統合した再決断療法について述べてみたい。

 

日本では、交流分析は主に性格診断のツールとして使用されることがほとんどで、あまり理論の範囲を超えることはないようだ。しかし欧米では主に、ゲシュタルト心理学で培われた実践的セラピーを援用している。従って交流分析ゲシュタルト療法は、ほぼ等しいものと捉えられている。

 

ちなみにゲシュタルト療法は、フレデリック・パールズ(F. Perls)らによって提唱された「いま、ここ」での気づきを重視した人格の統合を図る心理療法で、感情面での変化を促す技法、手段である。

 

1969年頃、ロバートとメリー・グールディング夫妻によって編み出されたこの心理療法を、再決断療法(Redecision Therapy)と呼び、次のような考え方をする。すなわち、クライアントが今悩んでいる問題は、過去のある時に何らかの心理的理由により、クライアント自らが決断した結果である。自らが決断した結果が今の問題となっていることから、その問題の本質を理解し、一度行った決断をやり直す(再決断)ことによって、現状を変えられるとする。

 

ここでいう決断とは、意識的な決断と異なり、子どもがその環境下で生きていくために、ほとんど無意識に行うもので、早期決断あるいは幼児決断(禁止令決断)という。再決断するためには、クライアント自身が変化を望むことが欠かせないが、問題に対する思考レベルの理解だけではなく、感情レベルも含めた理解があって、初めて再決断が可能と考えられる。

 

幼少期の困難な時期を生きるために“自ら決断する”とはどのようなことなのだろうか。幼児決断(禁止令決断)にはさまざまなものが考えられるが、最も基本的で最も重い禁止令決断に“存在するな(生きるな)”というものがある。この“存在するな”の禁止令を例にして検討してみたい。

 

例えば、親から虐待を受けているような場合「私にはその理由が分らないけれど、親から怒られたということは、私が何か悪いことをしたからなのだ」と子供は考えるだろう。だから怒られないようにするためには「親に認められる自分になる、そのために本来の自分の姿を押し殺して生きる」ことを選ぶしかない。

 

自分を押し殺す、つまり本来の自分の“生”をあきらめることであり“私”は生きてはならないのである。このように、自分が自分に禁止命令を出すことが禁止令決断であり、ここに挙げた例が“私は生きるな・存在するな”の禁止令決断である。

 

他にも、両親から「お前がいるから私たちは離婚できないんだ!」などと言われれば、子供は完全に居場所を失ってしまい“私は存在してはいけない”と考えるようになるだろう。

 

人生の中で、何かしら困難な状況につまずいて、もしもその時に一度でも“死んでしまいたい”と思ったことがあるなら、その人はこの“生きるな”の禁止令決断を経験したことがあるのかもしれない。

 

びっくりするようなこと、普通怖くてできないようなこと、例えば足がすくむような高い所に上って、自撮りをするとか、人から見ると無謀で危険なことを、笑いながらやってしまうとか、レーサーなどもそう言えるかもしれないが、根底にはこの“生きるな”の禁止令決断が関与しているのかもしれない。実際にレーサーへのカウンセリングの後、もう怖くてレースに出られなくなったという事例などがある。

 

 

前回は“望まないことであっても、思い込んでやらなければならない時がある”ということに注意を向けた。さらに“自分にかけた魔法”という言葉はこの物語の核心的テーマの一つであるとも述べた。

 

つまりこの幼児決断という考え方は、ヒトミが“自分にかけた魔法”を理解する上で極めて役に立つし、この物語はヒトミが幼児決断したことを、もう一度見つめなおすためのプロセス(再決断)であると考えると、その構造がとても良く分る。もちろん見方の一つではあるが…。

 

心理療法としての再決断療法の具体的な進め方としては、まず「あなたがかつて心に決めたとても大切なことが、今のあなたに苦しみをもたらしているように思われるが、あなたはそのことについてどう考えますか?」と言って、問題意識を共有することから始めることになるだろう。

 

「かつての決心は意味があった(それによって“生きている”ともいえるだろう)けれど、これからのあなたにとって、それはむしろ障害となっているのではないでしょうか? これからのあなたにとって必要なことを一緒に考えてみませんか?」などと、再決断療法の考え方を理解し了承してもらう。このプロセスを“契約”と呼んで重要視している。

 

“エンプティチェア注1)”にかつての自分や重要な人(イメージで行う)を座らせ、その人たちと対話をしながら今の自分に意識を集中させる。そうすることで自身の理解が深まるとされる。グループワークが可能であれば、大切な人を“誰か”に演じてもらうこともでき、参加者それぞれの深い学びへとつながる。

 

これらのワークは幼児決断を覆すことが目的ではあるが、自ずとその内容は、自分を大切にするようなものが多い。ヒトミはどのような再決断をするのか、これからの物語を注視してもらいたい。

 

では次回以降、引き続き幼児決断と魔法使いの家系の問題などについても触れてみたい。

 

 


Irozuku Sekai no Ashita Kara Capitulo 9 Sub Español Nuevo Anime

 

 

 

※注1)エンプティチェア(ワーク):ゲシュタルト心理療法で用いられるテクニックの一つ。誰もいない空の椅子に、自分や自分に影響を与えた重要人物をイメージで座らせ、その人物と対話をする中で、その時の自分や相手がどのように考えていたのかを、体験的に知ることができるとする「いま、ここ」での気づきを誘発する手法。