17、心理学で読み解くアニメの世界
ユング心理学で読むアニメの世界
「言の葉の庭」
第三回
八、八月 梅雨明け
真夏のイメージ。
雪野のモノローグ:まるで誰かがスイッチを切り替えたみたいに、晴れの日ばかりが続くようになった、
①あの子が授業をサボる口実が減って良かった、なんて、今更みたいに考えたりはするけれど、
②でも、本当は、梅雨が…明けて欲しくなかった…、
③晴れの日のここは、知らない場所みたい
※雪野のモノローグを覗いてみると…
①サボる口実が減って良かった…、教師的側面(ペルソナ)を意識するものの、とても弱々しい。まだ社会性が取り戻せていないようである。
②雪野は、“癒されたい”気持ちが、まだ満たされていないと感じられ、自分を取り戻す時間が不足していると感じているよう。
③雨の公園、午前中の東屋が“二人の居場所”であって、晴れの日、違う時間帯の公園は、全く違うものとして存在している。雪野は戸惑うほどの違いを感じている。
※)ここで雪野は夏目漱石の「行人」を読んでいる。本について各自調べてほしい。
孝雄の日常…、そして夏休み。
アラームの音、雪野の部屋。
孝雄の日々の生活(…バイトの日々…)と、靴づくりへの想いが語られる。
孝雄のモノローグ:あの人に会いたいと思うけれど、その気持ちを抱え込んでいるだけでは、きっといつまでも、ガキのままだ、だから、何よりも俺は、あの人がたくさん歩きたくなるような靴を作ろうと、そう決めた
※)孝雄の雪野への気持ち(恋愛感情)がはっきりした瞬間か。
雪野のモノローグ:27歳の私は15歳の頃の私より少しも賢くない、あたしばっかり、ずっと、同じ場所にいる
※)雪野は、27歳の自分と15歳の孝雄が同じ時間軸にいると感じている。15歳という年齢の取り組むべき課題とは何か…。
※)『ここで、漸成的発達段階論(エリクソンの心理・社会的発達論)という考えを紹介したい。精神分析家であったエリクソンは、人生の発達段階を8つに区切った。その中で、15歳という年齢を思春期・青年期(中学生頃から20歳後半に至る時期)として捉えた。いわゆる性の目覚めの時期である。
この時期の発達課題は「同一性の獲得」であり、その獲得に失敗すると「混乱」が生ずるとされる。同一性とは、自分がどういう人間であり、社会でどのような役割を果たしていくのかについて気づくことである。発達段階の中でもこの時期は最も重要視され、将来に大きな影響を与えるとされる。大人への仲間入りをする時期である。
またこの時期は自我が強くなり、目標へ向かう強い意志(信念)が現れる。この強い意志を“忠誠(fidelity)”といい、それぞれが独自の価値観によって選んだことを守り続けることをいう。』
※)雪野は、15歳の自分の問題を解決出来ずにいるのか。雪野と孝雄は同じ問題を抱えている、あるいは、むしろ自分の方が遅れていると感じているのかもしれない。
九、九月
夏休みが明けた学校で、友人たちと他愛のない会話をする孝雄。彼は夏休みのほとんどの時間、バイトに明け暮れた。すべて、靴のために。
孝雄は職員室の前で、雪野とすれ違う。ここで初めて孝雄は、雪野が高校の教師であることに気づく。孝雄の教室を担当している古典教師は男性であったため、雪野が古典の教師であったことを孝雄は気づかなかった。だから、雪野が三年の女子たちともめていたことも知らなかった。孝雄は友人から、そのもめた女子の名前を聞き出して、放課後彼女らの元を尋ねた。
流れの中で喧嘩をして、孝雄は顔に絆創膏を貼ることになった。
その日の帰り道、公園へ向かう孝雄。東屋に雪野はいない。池の方へ歩いていくと、雪野が一人たたずんでいる。
雪野は孝雄の顔の絆創膏を見て、声にならない声を上げた。
「あ~」
孝雄「…“鳴る神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも われは留らん 妹し留めば”」
雪野「そう、それが正解、私が最初に君に言った歌の返し歌」
孝雄「雨が降ったら、君はここに留まってくれるだろうか…、そういう歌に対して、雨なんか降らなくても、ここにいるよって答えてる…、万葉集…、教科書に載ってました、雪野…先生」
孝雄は絆創膏について、真実を語ろうとはしない。雪野への想いがそうさせたのだが、本人に話せるわけもなく…。彼は適当に煙に巻く。
十、嵐
雷、雨、そして風。彼らはずぶ濡れになり、雪野の部屋に。
雪野がアイロンをかけている間、孝雄は料理をしている。
雪野・孝雄「今まで生きてきて、今が一番、幸せかもしれない」
孝雄「雪野さん、おれ、雪野さんが好きなんだと思う」
雪野は一瞬顔を赤くするが、しばらくして、
雪野「雪野さん、じゃなくて、“先生”、でしょ」
※)孝雄の本心に対してペルソナ(教師としての側面を強調)として対応する雪野。孝雄は拒否されたと感じたのかもしれない。
雪野「“先生”は来週引越すの…、四国の実家に帰るの、ずっと前から決めてたの…、私はね、あの場所で、一人で歩けるようになる練習をしてたの、“靴が無くても”…」
孝雄「だから?」
雪野「だから、いままでありがとう、“秋月君”」
孝雄「あの、この服ありがとうございました、着替えます」
雪野「まだ乾いて…」
孝雄「あの、おれ、帰ります、いろいろ、ありがとうございました」
雪野「あぁ」
…涙を流す雪野、しばらくの逡巡…、やがて雪野は部屋を飛び出す。
雪野の住むマンションの外階段。雨の中、二人は会話を交わす。
雪野「あの」
孝雄「雪野さん、さっきの、忘れてください、おれ、やっぱりあなたのこと嫌いです…、最初からあなたは、嫌な人でした…、朝っぱらからビール飲んで、訳の分からない短歌なんか吹っかけてきて、自分のことは何も話さないくせに、人の話ばっか聞き出して、おれのこと生徒だって知ってたんですよね、汚いですよそんなのって、あんたが教師だって知ってたら、おれは靴の事なんてしゃべらなかった、どうせできっこない、叶いっこないって思われるから…、どうしてあんたはそう言わなかったんですか、子どものいう事だって、適当に付き合っていればいいって思ってた…、おれが何かに、誰かにあこがれたって、そんなの届きっこない、叶うわけないって、あんたは最初から分ってたんだ…、だったらちゃんと言ってくれよ、邪魔だって、ガキは学校に行けって、俺の事嫌いだって、あんたは、あんたは一生ずっとそうやって、大事なことは絶対言わないで、自分は関係ないって顔して、ずっと一人で、生きてくんだ!」
雪野「毎朝、毎朝ちゃんとスーツ着て、学校に行こうとしていたの、でも怖くて、どうしても行けなくて…、あの場所で、あたし、あなたに、救われてたの…」
※)雪野が教師としての態度を取ったことに対して、孝雄は高校生としての答え、想いをそのまま口にしている。彼は自分にとって一番恥ずかしいと感じている“ガキ”としての自分を表現することしかできなかったのかもしれない(ペルソナに対してペルソナとして答えている)。
雪野は自分の言動が孝雄をとても傷つけてしまったと感じ、自分の本心を伝えようとした。それは、傷ついた心を癒してもらっていたという、感謝の気持ちだったといえるだろう。「救われてたの…」という言葉に表されているように、孝雄にはそのことが、十分過ぎる程良く分った。彼は雪野が苦しんでいる姿をずっと見てきたからだ。最後になって、孝雄はようやく雪野の気持ちを受け入れることができた。
*** エンドロール ***
完成した女性用の靴。
孝雄「歩く練習をしていたのは、きっとおれも同じだと、今は思う、“いつかもっと、もっと遠くまで歩けるようになったら”…、会いにいこう」
*** おわり ***
まとめ
ここでは、雪野と孝雄の出会いの意味について考えてみたいと思う。
雪野は多くの問題を抱えていた。学校でのトラブルと、それに起因する出勤への恐怖や、欠勤への罪悪感、妻子持ちの同僚との恋愛や、これらの影響と思われる味覚障害(?)などである。そんな彼女が、心の安らぎを得るために訪れていたのが雨の公園だった。
同じように孝雄にも多くの問題があった。母は恋人に夢中、兄は結婚に向けて家から離れていく状況で、彼一人、取り残されていく孤独感があったのではないか。そういった家族の事情が、彼が早く大人になることを要請したのかもしれない。
同年代の子より大人っぽい彼は、まだ15歳の高校生でしかない。焦る気持ちとは裏腹に“ガキ”な自分を痛いほど良く分っている。靴づくりは彼にとって、大人へのパスポートだと感じられたに違いない。そんな彼にとっても、雨の公園は自分がホッとできる安全地帯だったのだろう。
公園での出会いが、ただの偶然であることは否定できない。だが、その偶然を彼らは敏感に察知し、何らかの関わりを持つことが必要な時かもしれないと、それぞれの無意識が動き出し、お互いが向かい合うことを働きかけたとも考えられる。自分に変革を与えるような“何か”に気づかせ“必要な状況は絶えず起こっている”というメッセージを無意識は伝えているではないだろうか。
ちょうど星々がある一塊(ひとかたまり)を形作るような、一定の位置から見られる星の配置を星座(コンステレーション・布置)と呼んでいる。現実の星々は、何億光年と離れていて、互いにほとんど関わりがなくとも、ある位置から眺めると、その場所からは極めて重要な意味を持つことになる。その位置こそが“雨の公園”と捉えることもできよう。
雪野、孝雄は共に、現実での生活に違和感があった。しかしそれは、互いに何の関わりもなかった。たまたま同じ場所で出会ったことで、お互いの無意識が活性化し、そこに何らかの意味を見出したと捉えると、彼らにとっての出会いや関わり、そして語り合うことが、この物語に欠くことのできない布置であったということができる。そして、その布置はお互いの課題を明らかにするとともに、変革をももたらしたといえるのではないだろうか。
<巻末資料>
○フロイトの心理(精神)・性的発達論による各段階
・口唇期、肛門期、男根期(エディプス期)、潜伏期、性器期
○エリクソンによる漸成的発達段階論による各段階
・乳児期(口唇期に相当):基本的信頼感の獲得(⇔基本的不信)により、大人を信頼し、自分自身を信頼できるようになる。この時期に現れる強い意志を「希望(hope)」としている。
・幼児期初期(肛門期に相当):自律性の獲得(⇔恥・疑惑)により、筋肉運動をコントロールできるようになる。この時期に現れる強い意志は、自ら選択、決定する「意志(will)」としている。
・遊戯期(エディプス期に相当):前期に増して活発となり、自主性の獲得(⇔罪悪感)が発達課題となる。遊びの追及や計画に向けての「目的(purpose)」が強い意志となる。
・学童期(潜伏期に相当):勤勉性の獲得(⇔劣等感)により、学んだ者には報酬があることを学ぶ。自分の能力を生かすことができるという「適格(Competence)」という感覚が、この時期の強い意志とされる。
・青年期(性器期に相当):本編に詳しく記載
・前成人期:親密性の獲得(⇔孤立感)により、異性を含む他者との交際の幅が広がる。この時期の強い意志は「愛(love)」とされる。20代後半~30代前半がこれにあたる。
(本来なら雪野が迎えている時期、しかし青年期の問題も同時に抱えているのかもしれない)
・成人期:生殖性の獲得(⇔停滞性)が課題であるとする。生殖性とは「次世代の確立」(子供を作ることだけではなく、後輩を育てることも含む)であり、そのための強い意志として「世話(care)」が重要であるとする。
・老年期:課題は統合、危機は絶望である。死の恐怖に立ち向かうことのできる強い意志が「英知(wisdom」であるとされる。