32、心理学で読み解くアニメの世界
ユング心理学で読むアニメの世界
STAGE 12 宇宙よりも遠い場所
「先生、ちょっと」…数年前のシラセの記憶。母親が遭難した際の慌ただしさが夢のように展開していく。
“それは、まるで夢のようで、あれっ、覚めない、覚めないぞって思っていて、それがいつまでも続いて…、まだ、続いている”
一、最後の旅
ユヅキ:「三週間?」
隊員たちが胸に秘めた計画の実施に向けて、天文台建設予定地への物資輸送のために、ギンとカナエはシラセ達にその地への訪問を打診する。しかしシラセは「少し、考えさせてもらってもいいですか」と言って、返事を保留する。ギンの顔が曇る。
キマリ、ヒナタ、ユヅキの三人は気象観測レポートの撮影をこなすが、シラセはその場には来ない。気になるキマリはシラセに会いに行くが、どうもぎこちない。
二、普通過ぎる
厨房で玉ねぎの皮むきをしながら、四人で話をする。
シラセ:「ゴメン、別に落ち込んでいるとか、悩んでいるとかじゃないの、むしろ普通っていうか、普通過ぎるっていうか」
ヒナタ:「普通?」
シラセ:「わたしね、南極来たら泣くんじゃないかってずっと思ってた、これがお母さんが見た景色なんだ、この景色にお母さんは感動して、こんな素敵なところだからお母さん来たいって思ったんだ、そんな風になるって、でも、実際はそんなこと全然なくて、何見ても写真と一緒だ、くらいで」
ヒナタ:「確かに、到着したとき最初に言ったのはざまあみろだったもんな」
シラセ:「えっ、そうだっけ」
ユヅキ:「忘れてるんですか」
キマリ:「でも、シラセちゃんは、お母さんが待ってるから来たんだよね、お母さんがここに来たから、来ようって思ったんだよね」
シラセ:「うん」
キマリ:「それで何度もカナエさんたちにお願いして、バイトして、どうしても行きたいって頑張って」
シラセ:「分ってる」
キマリ:「お母さんが待ってるって、シラセちゃん言ってたよ」
ヒナタ:「キマリ」
ユヅキ:「そんな風に言ったら、シラセさん可哀そうですよ」
シラセ:「…分ってる、何のためにここまで来たんだって、でも…、でも、そこに着いたらもう先はない、終わりなの、もし行って、何も変わらなかったら、わたしはきっと、一生今の気持ちのままなんだって」
三、内陸遠征
内陸への遠征前夜、出陣前のバーベキューで、シラセが迷っていることをユミコが心配すると“何かをするのが思いやりではない、何もしないのも思いやりである”とヒナタが自作の名言を披露する。
「い~よね、あなた達、お互い放っとけるっていうのは、いい友達の証拠だよ」ユミコにそう言われて、ユヅキは「いい友達だって言いましたよね…、いい友達ですって!」と言って満面の笑顔となる。
一方、賑やかな場所が苦手なギンは、少し離れた屋外の階段に腰を下ろしている。するとそこへシラセが現れる。
「どう思いますか?」
「何が?」
「お母さん」
「わたしにそれを聞くくらいなら、行かない方がいい」
「どんなに信じたくなくても、貴子が死んだ事実は動かない、意志だとか、生前の希望だとかいっても、それが本心なのか、本当に願っているのかは、誰にも分らない」
「じゃあなんで南極にもう一度来たんですか」
「あたしが来たかったから、貴子がそうして欲しいと思っていると、あたしが勝手に思い込んでいるから、結局、人なんて思い込みでしか行動できない、けど、思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める、あたしはそう思っている」
「人に委ねるなってことですか」
「そう、けど、ずっとそうしてきたんじゃないの、あなたは」
四、出発
翌日、シラセは荷物を持って現れる。
“こうして、最後の旅が始まった。日本から一万四千キロ、宇宙よりも遠い、彼方に思えたその場所へ”
雪上車の出発拠点までヘリで飛んで、荷物の積み替えをし、いよいよ出発となる。ショベルカーを先頭に数台の雪上車がこれに続く。時速6~7キロで三週間の遠征が始まる。
このツアーで、シラセは南極の厳しさを改めて知り、母の事故についてもより現実的に考えられるようになる。シラセは母の軌跡を辿る。
夜、眠れないシラセは母貴子とギンが楽しそうに雪上車の中で話している幻影を見る。すると不意にキマリが話しかける「シラセちゃん、大丈夫?」
「キマリは、南極好き?」
「うん、大好き」
「そう」
「でもね、一人だったら好きだったか分らなかったかも」
「そうなの?」
「みんなと一緒だから…、みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも、ねえシラセちゃん、連れてきてくれてありがとう、シラセちゃんのおかげでわたし、青春できた」
“DEARお母さん、友達ができました、ずっと一人でいいって思っていたわたしに、友達ができました、ちょっぴり変で、ちょっぴり面倒で、ちょっぴりダメな人達だけど、一緒に南極まで旅してくれる友達が、ケンカしたり、泣いたり、困ったりして、それでも、お母さんのいたこの場所に、こんな遠くまで、一緒に旅してくれました、わたしは、みんなが一緒だったから、ここまで来れました、お母さん、そこから何が見えますか、お母さんが見たのと同じ景色が、わたしにも見えますか、もうすぐ着きます、お母さんがいる、その場所に」
五、遺品
一行は基地である“南極チャレンジ1次隊天文観測所”に到達する。
「まだまだ待たせるけどね」というギンの言葉に「大丈夫なんですか、それで」とヒナタが尋ねる。
カナエ:「大丈夫なわけないでしょ、この後土台直して建物建てて、一個一個部品運んで望遠鏡作って」
ギンの目に涙を認めた四人は、観測予定基地に残された貴子の遺品を探す。
シラセ:「お母さんの物なんて見つかるわけないでしょ!もう三年も前なんだし」
キマリ:「分らないよ」
ヒナタ:「そうだぞ、逆に言えば、三年前から誰も来てないってことなんだから」
シラセ:「いいよ、見つかるわけないよ」
キマリ:「あきらめちゃだめだよ、何でもいい、一個でもいいから」
シラセ:「いいよ」
ヒナタ:「良くない」
シラセ:「見つからないよ」
ユヅキ:「何で言い切れるんです!」
シラセ:「いいよ、ここに来れただけで十分、ちゃんと目的は達成したから、お母さんがいる所に来れたから、ありがとう、だから、もう」
キマリ:「良くない!!ここまで来たんだよ、ここまで来たんだもん、一個でいい、シラセちゃんのお母さんが、確かにここにいたって何か…」
ヒナタ:「キマリ!」
ユヅキ:「シラセさん!」
ヒナタ:「これ!」
二人の元に駆け寄るキマリ。するとヒナタとユヅキは、キマリにあるものを手渡す。凍りついたパソコンを手にしたキマリは、そっと表面を拭う。するとそこにシラセとお母さんが映っている写真が貼ってあるのを見る。
キマリ達三人は、そのパソコンをそっとシラセに渡す。
六、喪の仕事
ツアーが終わり、遠征隊は旧昭和基地に戻る。シラセは自室でそのパソコンを立ち上げようとする。暗証番号が不明であるが、二度目の入力でパソコンを立ち上げる。すると「ようこそ」が表示されて、機能が動き始める。
メーリングプログラムが起動すると、未読のメールを受信し始める。20、30、40…、100、300、500…、800、900、1000…、
「お母さん! お母さん!」
シラセの部屋の前で心配な様子の三人も、彼女の嗚咽を聞いていつの間にか一緒に涙を流している。
STAGE 12 について
今回の話は特別だ。プロローグに続いてオープニングテーマ曲が流れることもなく、タイトルだけが静かに挿入される。製作者側が、今回のエピソードを特別視している表れではないだろうか。今まで何度か触れてきた『喪の仕事』の回である。
愛する人、大切な人の死は言葉に言い表すことのできないほど、苦しく悲しいものだ。シラセに限らず誰にとっても、不慮の事故で近しい家族を失うことは筆舌に尽くしがたい。多くの人はその死を悲しみ、途方に暮れるだろう。しかしシラセは特別な事情を抱えている。それはご遺体と対面できていないこと、つまり母の死を体感(死者を身近に感じるという意味)できていないことだ。
シラセは“その知らせ”に接してから“夢の中にいるよう”であると言っている。方向喪失の状態にあるといえるだろう。南極の地に初めて足を降ろした時に「ざまあみろ!」と叫んだのは、今まで自分をバカにした人達への遺恨であって、本来シラセが“しなければならない目的”に対する心構えを口に出したわけではない。
シラセにとっての本当の目的は、南極へ来ること“だけ”ではない。『行くことが極めて困難ではあるが、母親が訪れた最後に地に立ち、母親を悼(いた)むこと』である。“悼む”とは「人の死を悲しみ嘆く」ことである。人が亡くなったことを悔やみ、その死を悲しみ嘆く行為そのものを指す。つまり亡くなった人との思い出をかみしめ、安らかな眠りを祈ることであるといえるだろう。
以前にも指摘したように、思い出の中でシラセは、母親の死について落ち込むことはあっても、悲しみ嘆き涙を流すような場面は描かれていない。ありふれた日常の不意を突いて、突然訪れた“その知らせ”に母親を悼む機会を奪われた、あるいはその機会を逸してしまったといえるだろうか。
“このままでは私はこの先動けない”シラセの無意識はきっとそう感じたに違いない。自分の気持ちだけではなく、命を落とした母親の悲しみや苦しみ、そしてもう会えないという喪失感、自分はこれからどうしたらいいのかという方向喪失感、そういった感情の滞りをどうにかするには南極へ、すなわち“母親のいるあの場所”へ向かうことでしか解消できないと考えたのではないだろうか。
“その場所”へシラセ一人で行っていたら、遺品のパソコンは探せなかったかもしれない。悼む形は違ったものになっていただろう。もちろんどのような形でも、悼むことによってシラセの気持ちが楽になれればいいのではあるが、三人の同行者がいることで“遺品”を見つけることができた。
シラセは息を吹き返したようなパソコンの中に、自分が送った読まれることの無いメールを見て“もういない所有者”を実感し、その所有者の悲しみや、無念の気持ちに想いを向けることができた。そうすることで初めて心の底から悲しみを表現することができたのだろう。
決して今回限りの一回で終わるわけではないが、シラセにとっての『喪の仕事』はこの後も幾度となく、繰り返し繰り返し続けられる。その仕事が完成することはないのかもしれが『喪の仕事』は現実世界の私たちそれぞれも、取り組まなければならない人生の“大仕事”であるといえるだろう。
では。