57、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

              「魔女の旅々」

 

 

第三話 瓶詰めの幸せ

 

一、草原

 

旅の途中、イレイナがほうきに乗って草原を飛んでいると、どこからともなく彼女を呼ぶ声が聞こえてくる。イレイナは声の主(少年エミル)のところへ降りていく。

 

「こんなところで何を?」

「旅人です、ですから旅をしています、あなたは?」

 

「ぼくは幸せ探しをしてるんだ」

「しあわせ…、それは?」

 

「これは幸せを集めている瓶だよ」

「幸せを集めている?」

 

「人や動物が幸せを感じた瞬間を魔力に変えて、瓶にかき集めているんだ」

「あなたも魔法が使えるのですね」

 

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「開けてみても…」

「だめだめ、今ここで開けたら、僕の苦労が水の泡だよ、これは僕が、好きな子のために集めた大切な宝物なんだ…、あっ、怒った?」

 

「いえ、ちょっと感心しました、昔読んだ本を思い出したものですから」

「本?」

 

「えぇ…、病気で家から出られない妻の為に、夫が外の世界を渡り歩き、きれいな景色を魔法で複製して、持ち帰って妻に見せようとする物語です」

「へ~ぇ、それでどうなるの、奥さんすっごく喜んだだろうね」

 

「そう…、どうでしたっけ…」

「治って、長生きしたに決まってるよ」

 

「そうかもしれませんね、それで、好きな女の子というのは…」

「ぼくの家で働いているニノっていう使用人さんだよ、いっつも暗い顔をしているから、元気づけてあげたいんだ、だから瓶に幸せを詰めてる、というわけ」

 

「なるほど」

 

 

二、少年の家

 

二人は少年の家の近くに到着すると、イレイナが「その瓶は、いつあげるんですか?」と彼に尋ねる。すると少年は「お昼ご飯を食べた後に渡そうかと…、あぁ、そうだ、魔女さんもお昼食べていったら、ニノちゃんの作る料理、とってもおいしいんだよ」といって、イレイナを昼食に誘う。

 

「少なめにお願いしますね」そう言うと、イレイナは少年の家に入って行く。

 

 

三、少年とニノ

 

「まあ、ゆっくりしていってよ」

「どうも…」

 

イレイナが大きなダイニングテーブルの椅子に座ると、程なくドアの向こうからニノが現れる。しかし、イレイナの存在に気づくと緊張して一瞬取り乱す。

 

「こっ、こんにちは」

「こんにちは…、もしかして、東の国の出身の方ですか」

「えっと、あのう…」

「いえ、知り合いと雰囲気が似ていたものですから」

 

すると遠くから少年が答える。

「そうだよ、僕の父さんが、ニノちゃんを東の国で拾って来たんだ」

「拾って…、それでこの家で…」

「はい、村長様には、大変やさしくしてもらっております」

 

 

四、村長とニノ

 

少年とニノが台所に入り料理を作り始めると、やがて村長がダイニングに現れる。

 

「おやおや、客人とはめずらしい」

「あなたが村長さんですか」

「いかにも」

 

「旅人のイレイナと言います、どうぞよろしく」

「これはどうもご丁寧に、ゆっくりしていってください」

そう言うとイレイナの様子を値踏みするかのようにゆっくり眺める。やがて料理が運ばれ、豪華な昼食を皆で囲む。

 

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「ごちそうさま、とってもおいしかったです」

「あっ、はい、ありがとうございます…、食器片づけます」

 

「わたしも…」

「あぁ、魔女さんはいいよ」少年はそう言うと、ニノと二人で食器を片付け始める。

 

「ニノさんとは東の国で…」

「うん、買ったんだ」

「買った…」

 

「奴隷だよ、数年前、妻が家を出ていってしまってな、家事が回らなくて困っていた時期があったのだよ、その時、仕事で行った東の国であいつを見つけたんだ、値が張ったが、家事は多少できるし、何より将来美人になりそうだったから迷わず買った、わたしが見込んだ通り、いい使用人だよあれは」

 

「そのことをエミルさんは知っているんですか」

「言ったはずだが、あいつは相手が奴隷だろうと気にしてはいないようだな」

 

今度はニノが一人で食器を取りに来るのだが、水の入った水差しを持っている時にエミルが大きな声をあげてニノに呼び掛けると、彼女は驚いて持っていた水差しとグラスを落としてしまう。割れた食器を見た村長は、ニノを激しく叱責する。

 

「すぐに掃除しろ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「すぐに掃除しろ!」

「はい、」

 

「掃除しなくても大丈夫ですよ」

「えっ、と…」

イレイナは魔法の杖を村長に向ける。しかし、あきらめるようにその先を割れた食器に向け、回復魔法をかける。

 

「今度は落とさないように気を付けてくださいね」

「いや~すまないな、みっともないものを見せたあげくにグラスまで直してもらえるとは、ほら、おまえもちゃんと礼を言え」

 

「あの、ごめんなさい」

「こういう時は、“ありがとう”、ですよ」

「ありがとう、ございます」

 

魔法でグラスや水差しを直す様子を見ていたエミルは、不満を感じる。

 

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食後、村長の家の裏庭でエミルとイレイナが話をする。

 

「ぼくもあれくらいの魔法は、出来たさ」

「あらら、ごめんなさい、余計なお世話でしたか」

「ううん、ありがとう、魔女さん」

 

ところでニノさんは今、落ち込んでいますよね、プレゼントをあげる、絶好の機会じゃないですか」

 

 

五、プレゼント

 

「ニノちゃんに、プレゼントがあるって言ったよね、はい、これがプレゼント」そういうと、エミルはあの瓶を渡す。「これはね、幸せが詰まった瓶だよ、いろいろな場所で見つけた、いろいろな人の幸せが詰まっているんだ、一度しか見られないから、よく見ててね、さぁ、空けて、せーの」

 

瓶を開けると、そこにはいろいろな幸せの想いが映像となって表れて来る。「これが幸せのカケラだよ」

 

「外の世界はね、こんなにも幸せに満ちているんだ、だから、暗い顔ばかりしてないで、僕が君を幸せにするから」

 

「わたしを…、幸せに…」

ニノは声をあげて泣き始める。

エミルはやさしく彼女を抱きしめる。

 

 

六、見送り

 

「また遊びに来てよね、その時は、ニノちゃんと一緒に、もっとおいしいものをご馳走するから」

「えぇ、また来ます、じゃぁ」

そういうと、イレイナはまた旅路に就く。

 

「実にきれいな色ですね」夕陽を見ながらそういうと、イレイナはふっとあることを思い出す。

 

『わたしはその時、思い出したのです、昔読んだ本の結末を、夫が見せてくれたきれいな景色は、身動きができない妻を、かえって絶望させてしまったのです、そして妻は…、人のためにと思ってしたことが正しいとは限らない、という、大変に説教臭い話だったのです、あれは、やさしさや美しさは、時には残酷にもなるのです、あれからニノさんがどうなったのかは、わたしは知りません、いえ、知りたくもありません』

 

 

物語の考察

 

一、奴隷という言葉

 

「瓶詰めの幸せ」の舞台となる村は、一見すると草原地帯にあるのどかな田舎という印象を受けるが、ニノという人物に関して「奴隷」という言葉が登場する。少年エミルはニノに対して奴隷という意識を持っているようには見えないが、村長である父親はニノのことをはっきり「奴隷」であると言っている。

 

さて、奴隷とはどのような存在で、この物語ではどのように設定(イメージ)されているのだろうか。ネットで検索すると「奴隷とは人間でありながら所有物とされる者をいう」とある。つまり自由や権利などが保証されているのではなく、物として売買の対象となっているのである。

 

奴隷の歴史は長く、大変古い時代から各地に存在している。またその有り方は地域や時代によってもかなりの違いがあるようだ。古代ギリシャでは市民に変わって労働に従事させられていたが、古代ローマではかなりの金銭を得る奴隷もいたことが分っている。

 

日本では奴婢(ぬひ)と呼ばれ、主に農奴として農耕分野に従事させられていたようである。縄文・弥生時代、あるいはもっと古くからあったのかもしれない。「後漢書(445年)」には「生口160人を献上した」とあり、この「生口」を奴隷であるとする説もあるのだが、否定する説もある。

 

いずれにしても、物として扱われた人間を奴隷というのだが、みなさんご存じのとおりこの制度は現在禁止されている。1948年に国連で採択された世界人権宣言では以下のように規定されている。

 

『何人も、奴隷にされ、又は苦役に服する事はない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。(第4条)』

 

 

ところで、奴隷といえば自由を奪われ、尊厳をはく奪された存在として、悲惨な境遇にある者を連想するだろう。確かにニノは、村長とその息子エミルに隷属している。このニノを見ていると、かつてHNKで放映された「おしん」の境遇を思い起こしてしまうのだが、そのような感慨を持つのは筆者だけではないだろう。

 

おしん年季奉公に出される。「将来美人になりそうだったから迷わず買った」と村長が言うように、奉公が終わって里へ返されるという日本の様式とは明らかに違う。購入した商品であるという認識である。

 

おしんは頑張って年季を終えれば家に帰れるという「希望」が持てるが、ニノにはそのような「夢」を持つことさえできない。おしんとニノの決定的な違いはそこにあり、それこそがニノの絶望と悲嘆の理由なのであろう。

 

 

二、昔読んだ本

 

冒頭、少年エミルとイレイナが出会った直後に話した内容から、イレイナが思い出した物語がある。『病気で家から出られない妻の為に、夫が外の世界を渡り歩き、きれいな景色を魔法で複製して、持ち帰って妻に見せようとする物語』である。

 

好きな子のために魔法の宝物を集めているというエミルと、昔読んだ本に登場する夫との間に深い繋がりを感じたのだろうか、イレイナはその少年に感心する。ただここで注意したいのは、エミルと夫だけが似ているのではないということだ。ニノと妻も、贈り物を送られる側であるという点で深く繋がっている。

 

もう一つ共通する要素を取り出さなければならない。それはニノと妻には「自由が無い」という点だ。自由とは身体的なものだけでなく、精神的自由も含まれる。ニノは奴隷であり、妻は病気である。双方ともに、理由は何であれ自由を奪われている。ニノは社会的拘束であり、妻は身体的拘束とでもいえるだろうか。

 

ところで、この「奴隷」ということと「病気」ということの間には、双方に通じる共通点があるように思われるのだがいかがだろう。先にも書いたように、奴隷は主人によって支配されている。病気については、主人とは言わないが「苦痛」によって支配されているといえるのではないだろうか。つまり「絶対的な何か」に隷属していて、それは当人の毎日に決定的な影響を与えているのである。

 

では「毎日に決定的な影響を与えるもの」とは、どのような事が考えられるだろうか。思い起こしてみれば、私たちの毎日は、実はそういったことで埋め尽くされているのではないだろうか。満員電車による通勤通学、見果てぬ介護や孤独な子育てなど、自分の意思とは関係なく動かざるを得ない状況が、私たちの日常には溢れている。

 

だがこれらは、まがりなりにも人々の自由意志の結果によるものであって、理不尽に強いられているわけではない。どんなに辛くても、基本的には受け入れ可能なものであろう。もちろん中には、これらの重圧に耐えかねて問題を起こす者がいるのも事実ではあるのだが。

 

だからといって、ここでニノや妻が考えを変えて、精神的苦痛を和らげられるような認知の変容が必要なのだと言いたい訳ではない。社会的制約や身体的制約によって精神的な窮地にある者に鞭打つつもりはない。何よりも一番苦しんでいるのは当人なのだから。

 

 

三、リスク回避

 

さて、先の物語「花のように可憐な彼女」の中でも取り上げた話題について再考してみたい。イレイナが村長と二人きりになったところで、村長がニノについて詳しく話す場面がある。「奴隷だよ、数年前、妻が家を出ていってしまってな…」というくだりである。イレイナはこの話をイライラしながら聞いている。

 

その後、食器を下げる場面でニノは水差しを落としてしまうのだが、その際、村長はニノを激しく叱責する。怯えるニノに何度も「すぐに掃除しろ!」と繰り返す姿勢に、イレイナは何とも言えぬ怒りを感じたようだ。

 

「掃除しなくても大丈夫ですよ」そういうとイレイナは、魔法の杖を一旦村長に向ける。しかし一瞬の躊躇のあと、杖の向きを変え水差しに魔法をかけ、割れた水差しを元通りに直す。「ごめんなさい」というニノに対して「こういう時は、“ありがとう”、ですよ」とイレイナは声をかける。

 

前回取り上げた「トロッコ問題」であるが、今回はどのように組み入れたらいいのだろうか。エミル、ニノを5人の作業員側、村長を1人の作業員側とすると分りやすいのではないだろうか。エミル、ニノの肩を持てば村長に恨まれるし、村長の肩を持つことはイレイナの信義(もてなしへの感謝とでもいえるようなもの)に反するだろう。

 

イレイナは持てる魔法の力で、困っているニノを助けたことになるのだが、彼女は出来る範囲内でのリスク回避を選んだことになるのではないだろうか。人権無視の村長を攻撃するわけでもなく、ニノを秘密の内に逃がすわけでもない。またエミルに対しニノの境遇についてもう少し熟考することも求めていない。

 

どちらかに肩入れすることなく、その後どうなったかにも関心を向けず、イレイナはその場を後にする道を選んでいる。しかし、そこが視聴者から炎上を呼び込んでいるポイントでもあるのだろう。

 

恐らく、ニノを逃がしたりすれば気持ちの良いエンディングとなるのだろうが、作者はその道を選んではいない。つまり、関わることがリスクなのであり、今回もイレイナはリスクの回避を選んだといえるだろう。なぜならイレイナの目的は「旅」を続けることだからだ。

 

 

四、本の結末

 

最後に、イレイナが昔読んだ本の結末について少し触れておきたい。イレイナは「説教じみたお話」と言っているが、彼女の口からどのような結末なのかは語られていない。しかし視聴者には、その結末がはっきりわかるようになっている。病床の妻の傍らにはナイトテーブルがあり、その上には果物ナイフが置かれている。象徴的なのだが、誰もが同じことを連想するのではないだろうか。

 

奴隷という立場と病気に蝕まれている立場というのは、自由を奪われているという点で似ているだろう。だがそれ以上に、不安や恐怖、絶望や悲しみといった複雑な感情によって心が揺さぶられていることを考えれば、そこにはほとんど差が無いともいえる。

 

夫やエミルが悪人として描かれているわけではないが、彼らが考えた「プレゼント」がどのような意味を持ち、どのような影響を与えるのかを、二人はもう少し真剣に考える必要があったのではないだろうか。言葉が悪いかもしれないが、結局のところ彼らは「トンチンカン」な考え、つまり完全に的を外していたことになる。

 

“相手の立場に立てること、そして、そこに想いを寄せること”ができ、対話を続けられることが、私たちには何よりも大切なことなのではないだろうか。相手の話を「聞き続けること」がその人の不安や悲しみの解消に少しでも役立つなら「聞き続けること」のできる人でありたいと思う。結果がどうであれ、それが最善とまではいわないが、かなり良い方法であると思われるからだ。

 

 

さて、人物の設定や重なり合う本の物語、そこから象徴的に導かれる“事の顛末”や、主人公イレイナの行動原理などについて触れてきた。短いストーリーであるからこそ、そこに様々な考察の余地があり、イメージがかきたてられる。時間が経てば、ここに書いたこととはまた違った考えが生まれてくるのではないかと感じているが、一旦はここで終わりにしたい。

 

次回は第四話「民なき国の王女」について考察してみる。

では、また。