77,心理学で読み解くアニメの世界

          心理学で読み解くアニメの世界

           「君を愛したひとりの僕へ」

 

 

前回に引き続き、今度は「君愛」について考察をしてみたいと思いますので、よろしければしばらくの間お付き合いください。それでは先ずは物語について少しまとめておきましょう。

 

こちらの暦は、幼少のころ父親に引き取られることで「僕愛」の世界からは大きく道筋が違ってきます。父親が務める虚質科学研究所を日常的に出入りしていることから、同じような境遇の女の子栞(しおり)と知り合います。栞は研究所長の娘で、暦の父は副所長という関係です。

 

幼いころに知り合った彼らは、いつも行動を共にするほどに関係を深め、お互いに恋心を感じています。そんなある日、暦の父親と栞の母である所長との再婚話が持ち上がります。嬉しい気持ちはあるものの、もし再婚が成立するとお互いが兄妹となってしまいます。

 

法的に兄妹となってしまうと、将来結婚できないのではないかと思い込んだ二人は家出をします。しかしこれはすぐに挫折し、今度は二人の親が結婚しない並行世界への逃避行を考えます。二人はもともと転移しやすい能力があり、転移装置の力を借りなくても並行世界へと転移してしまいます。

 

一時的に並行世界へと転移する二人ですが、なんとそこで栞は交通事故に遭ってしまいます。現実世界に戻った暦は栞が息をしていないことを知り、とんでもないことが起こってしまったことに気づきます。

 

その後栞の意識が「交差点の幽霊」として、その場所から永遠に抜け出せなくなってしまったことを知り、暦は父と栞の母に対して生涯をかけて栞を助ける方法を探し出すことを誓い、研究者の道を目指します。

 

暦は大学へは行かずに父の研究所で研究を重ね、ある画期的な理論を提唱します。天才暦の誕生です。暦の研究は鬼気迫るものがあり、周りの者が心配するほどで、それを見かねた父は密かに暦の助手を迎える手はずを整えます。高校の同級生和音の登場です。

 

和音は高校の時から暦に対してライバル意識を持っていて、高校卒業後、暦が研究者として成功していることを知り、彼と共に研究したいと思っていたようです。彼との研究は和音の希望でもあると父親に告げられ、暦は和音を研究のパートナーとして受け入れます。

 

暦は自分の研究が栞を助けるものであることを和音に伝えます。栞は先の事故で行き場を失い、あの交差点から永遠に出られなくなっていて、その解決のためには新たな理論と技術の構築が必要であると暦は考えています。和音は暦の気持ちを受け入れ、彼と共に栞を助ける方法を模索します。

 

暦と和音の研究人生は長く続きます。この世界の和音は、暦に対する愛の気持ちはあっても、暦の栞に対する思いを尊重して一歩引いた対応をします。結果として二人は結婚することはありませんでした。

 

晩年になり暦は栞を助ける方法を見つけ出します。しかし暦自身にとても大きな影響があることを知り、その方法の実行を最晩年の時まで待つこととします。つまり、栞と共に二人が決して出会うことの無い並行世界へと転移することで、事故の起こらない新たな世界を再構成するという方法で、再構成後はお互いの記憶を失ってしまうというものです。

 

二人は60年後にあの交差点で会おうと約束をして、その方法を実行します。すると、すべての並行世界の暦の記憶から栞の記憶が消えてしまいます。その後、交差点のイベントへと場面が進むのですが「僕愛」の世界の暦は、ピルケースを拾う同年代の女性と出会います。懐かしさを感じるものの、彼女が栞であることは分かりません。しかし彼女が事故で死ぬことのなかった世界を幸せに生きてきたことは伝わってきます。「君愛」の暦の願いが叶い、映画は終わりを迎えます。

 

 

それではこの物語に登場する暦の行動を見てみましょう。彼は幼く思慮の浅い行動によって、大切な栞を事故に遭わせてしまいます。戻るべき肉体を失い、栞は永遠に交差点の幽霊として彷徨うことになります。暦は責任を感じ、栞を助けたいと思って、研究者の道へと進んでいきます。

 

その後彼は和音と出会います。研究だけでなく私生活でも結びつきを深め、事実上の夫婦関係となっても、和音は暦に結婚を強要しませんでした。和音は…、というより、なぜ二人は結婚しなかったのでしょうか…。

 

栞を助けたいという一心で続けてきた研究が成果を上げようとしている時、暦はその方法を実施すると、自分の中にある栞の記憶が消滅してしまうことに気づきます。何よりも栞のことを大切に思っている暦は、その方法の実施を人生の最晩年まで待つことにし、そして実行します。

 

暦は栞に対する償いの気持ちが強く、そのために一生をかけて栞を救うことだけに人生を費やしてきました。そして長年の希望を叶えるためには、栞との思い出を放棄しなければならないという、究極の選択を迫られることになります。

 

他者の命(ここでは栞の肉体であり魂そのもの)のために、自分の命(ここでは暦と栞の想いでのすべて)を失うことができるのだろうかという命題が、この物語の根底に流れているように感じます。そしてその命題は、暦だけが負っているわけではありません。

 

和音は高校の時から暦に対してライバル意識を持ち、優秀な大学などへと進んでいきます。大学へは行っていないはずの暦が学術的な業績を上げていることを知り、さらにライバル心を燃え上がらせ自ら研究所へと働きかけます。

 

暦は栞を助けるための優秀なパートナーとして和音を受け入れ、一方和音は自分の業績を上げるための刺激的なパートナーとして暦に近づいたといえるでしょう。二人はやがて暦の父の思惑通り深い関係へと進んでいきます。しかし暦が栞を大切に思っていることをよく知っている和音は、栞の地位を奪おうとはしません。

 

和音のポジションは、暦が栞に対して保持しているものと近似しているように感じます。つまり、和音は暦が成し遂げたいと思っていることが実現することを最優先しているということなのです。暦が自分の信じるもの(愛の対象)のために自己犠牲を惜しまないのと同様に、和音も愛の対象である暦のために自己犠牲を惜しんではいないという姿勢が、お互いに重なり合うように感じられるのです。

 

ストーリー説明の中ではお話していませんが「君愛」の暦が最後の方法を取る前に、晩年の和音は「僕愛」の和音に対して手紙を書いています。今までの経緯を伝えるとともに、「僕愛」の暦が交差点のイベントへ出かけられるように後押して欲しいと依頼します。60年前の約束が果たされることを願ってのことでしょう。「僕愛」の暦は和音に送られて交差点へと向かいますが、これも和音の自己犠牲の一端のような気がします。愛とは自己犠牲そのものなのかもしれません。

 

 

ここまで「僕愛」「君愛」という作品について、いろいろ思うところを書いてみました。「僕愛」では「すべての君」がキーワードとなっていて、どのような君でも愛することができるのか、ということがテーマとなっているのではないかということをお話してみました。

 

「すべての君を愛せるか」という問いに対しては、「愛せるに違いない」という力強いな反語的肯定文が浮かんできます。「僕愛」では、すべての君を愛することこそが自分の生きる道なのだ、という作者の強い意志が感じられると思います。

 

一方「君愛」では、愛する者のためにあなたは自己犠牲できるのか、ということがテーマだったように感じます。そしてこちらの世界でも「自己犠牲できるに違いない」という強い肯定的なメッセージが感じられるような気がします。「僕愛」では「愛」が、「君愛」では「勇気(自己犠牲)」が根源的なテーマとして取り扱われたのではないでしょうか。

 

 

さて現在、「すずめの戸締り」が公開されています。新海誠宮崎駿高畑勲細田守など、すばらしいアニメ作家達が活躍していますが、彼らももとは新人作家でした。多くの人々がアニメ作品を見るために映画館へ足を運ぶことで彼らは評価され、次の世代の作家たちも育つともいえるでしょう。

 

「僕愛」と「君愛」は、二つで一つの世界観を構成する珍しい作品となっています。こういった新しい試みというものは、作品の成否にかかわらずこれからも大いにチャレンジしてほしいものです。そのためには多くの人々が映画館へ足を運び、後進の育成に貢献することが大切なような気がします。

 

面白いことが重要なのはもちろんなのですが、それと同時に、日本のアニメ作家やアニメ業界の振興のためにも、ぜひ多くの人たちに劇場へと足を運んでいただきたいと思います。

 

ちょっと業界人ぽいことを書いてしまいましたが、筆者はただの一アニメファンでしかありませんのであしからず。実写にはない自由な映像表現と撮影技法にとらわれないストーリー展開など、投影される物語はどれをとっても作者の心理的テーマが現わされていて興味が尽きません。アニメ作品の心理的観察がこれからもテーマとなりますが、幅広く「物語」全般について考察を深めたいと思っていることころです。

 

 

最後に「僕が愛したすべての君へ」「君が愛したひとりの僕へ」ともに、原作がハヤカワ文庫(ハヤカワ文庫JA)から刊行されていることを指摘しておきます。筆者は見た後に気づいたのですが、ハヤカワといえばSF作品が多いことで有名でしょう。この両方の作品も、基本的にSFといえます。

 

Wikipediaによれば、当初SF作家のためのレーベルだったようですが、1995年からハヤカワ文庫JAというブランドで日本人作家(JAとはJapanese Authorの頭文字)の作品を取り扱うことになったそうです。ジャンルは問わないようですが、「ハヤカワ」といえば老舗のSF文庫としてのイメージが強いのではないでしょうか。個人的な印象に過ぎませんが…。

 

さて、今回取り上げた作品は、双方ともに「虚質科学」なる空想科学が強調されて気構えしてしまいますが、もっと気軽に見た方がいい気がします。「マルホランドドライブ」を例にお話したように、無数の並行世界を駆使すればストーリーを合理的に解釈することは可能かもしれませんが、それよりも人物の心情に注意を向けた方が楽しめるのではないでしょうか。

 

約一時間半の作品二本。時間に余裕のある時に、二本続けてご覧いただければと思います。続けて見ることでのみ得られる世界観があるような気がしますので、ぜひ一度トライしてみてはいかがでしょうか。

 

 

ではでは、今回はこの辺で…。