【2026/06/24更新】
最近、当ブログで書いた記事をAIによって分析し直すことをしております。
冒頭の【0000/00/00更新】と書かれた投稿は本文の後に、AIとのやり取りを追加しております。もしよろしければ改めて当ブログを一巡していただけると嬉しいです。
ユング心理学で読み解くアニメの世界
「果てしなきスカーレット」
前回の投稿からかなりの日数が経過してしまいました。
先日「果てしなきスカーレット」という作品を観ました。細田守監督による最新作で「龍とそばかすの姫」から4年という歳月をかけた自信作ということです。公開10日後あたりに観たのですが、周りから聞こえてくる評判は酷評だらけ。元々見る予定でしたが、あまり時間を置くと観る前に終わってしまうのではないかと心配する程、良いレビューは聞こえてきません。一体何が起こっているのでしょうか?
今回は「果てしなきスカーレット」について、私なりの心理学的考察を試みつつ、不評の原因などについて想いを巡らせてみたいと思います。よろしければ最後までお付き合いください。
では早速、公式Webから「ストーリー」を拾ってみます。
「父の敵(かたき)への復讐に失敗した王女・スカーレットは、《死者の国》で目を覚ます。ここは、人々が略奪と暴力に明け暮れ、力のない者や傷ついた者は<虚無>となり、その存在が消えてしまうという狂気の世界。
敵である、父を殺して王位を奪った叔父・クローディアスもまたこの世界に居ることを知り、スカーレットは改めて復讐を強く胸に誓う。
そんな中彼女は、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。時を超えて出会った二人は、最初は衝突しながらも、《死者の国》を共に旅するとこに。
戦うことでしか生きられないスカーレットと、戦うことを望まない聖。傷ついた自分の体を治療し、敵・味方関わらず優しく接する聖の温かい人柄に触れ、凍り付いていたスカーレットの心は、時徐々に溶かされていく-。
一方でクローディアスは、《死者の国》で誰もが夢見る“見果てぬ場所”を見つけ出し、我がものにしようと民衆を扇動し、支配していた。
以上が公式Web上でのストーリー説明となります。基本的にシェークスピアの「ハムレット」が下敷きになっているのは明白です。主人公男性ハムレットが女性スカーレットに置き換わっています。叔父のクローディアス、母ガートルードの名前も「ハムレット」のまま。《死者の国》まではシェークスピアの物語をほぼそのまま踏襲するようになっています。では何が違うのでしょうか? その点も含めて、考察を始めていきたいと思いますが、少し長くなりそうですので、以下、言い切りの形で書いていきます。ご了承ください。
~はじめに~
物語には様々な形があるが、大きく分けると二つのパーターンがある。一つは元いた場所に戻ってくる物語と、もう一つは二度と戻って来ない物語である。人間は幼少期に母親、あるいは保護してくれる存在から、だんだんとその活動範囲を広げていくわけだが、母親(保護者)はいわば安全地帯としての機能を有し、すべての生活の基盤となる。悲しいこと、辛いことがあれば元の場所に戻ることができて、子供は安心と温かさに身をゆだねることができる。
もう一つは、二度と戻らない物語である。旅に出たまま、決して戻ることのない、あるいはできない状況に身をおく物語である。意識して戻らないことを選択することもあるが、戻りたくても戻れない状況に期待、不安といった感情が交錯することになり、そのような物語は私たちに「望郷」という感情を呼び起こすことになるだろう。
安全地帯に戻ってこられる物語が、いわば「やり直せる」成長期の物語であるのに対して、戻らない、戻れない物語は「やり直しの出来ない」大人としての物語といえよう。例えば、伊達政宗が慶長遣欧使節としてスペインへ派遣した使節団は、日本に戻ってきた者たちと現地にとどまった者たちとの間で、その後に大きな違いがあった。程なくキリスト教を規制し始めた江戸幕府によって、彼らは死刑、あるいは棄教させられるなど、不遇な状況となった。
一方現地に残ることとなった者たちが不幸かと言えば、必ずしもそうとはいえない。何故なら彼らは現地に根付き、一市民としての人生を全うしたようである。スペインに存在している「ハポン」姓の人々はその末裔といわれている。その時代、戻れなくなることを承知の上で留まる決意をした人は、正しいかどうかは別としても、「大人の判断」をしたことになるのかもしれない。
さて、この「果てしなきスカーレット」はどのような形を持っているだろうか。『父の敵への復讐に失敗した王女・スカーレットは、《死者の国》で目を覚ます。』とあるように、彼女は一旦死んだことになっていて、私たちは《死者の国》の出来事を主人公たちと共に見ていくことになる。このあたりは先に示したように、シェークスピアの「ハムレット」を下敷きとしている通りだ。そしていきなりエンディングについて触れてしまうが、スカーレットは死の淵から戻ることができて、その後の人生を「やり直す」こととなる。つまりスカーレットの物語は、仮死状態の夢の世界から再び元の世界へと戻ってくる、貴種流離譚ということができるだろう。
ファンタジーアニメの中には様々な名作があるが、宮崎駿の「千と千尋の物語」やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」などは、不思議な世界で様々な試練に耐えて、勇気や機転を利かせて元の世界へと帰ってくる。つまり主人公の成長物語なのである。そう考えるとこの「果てしなきスカーレット」も主人公の成長物語であることが容易に想像することができる。では、どのような葛藤があり、その葛藤をクリアするために何を学んだのだろうか。
~復讐心と謎掛け・Aパート~
物語が始まると、只々荒れた大地をさすらうスカーレットの姿がある。冒頭から表現される世界観は、スカーレットの内面をよく表しているように思う。程なくすると、1600年代のデンマークに舞台を移すが、そこでは「ハムレット」の世界が再現される。あまり心情を掘り下げてはいないが、クローディアスが王を妬んで、暗殺を企んでいることが伝わってくる。
王は濡れ衣を着せられあっけなく処刑されるのだが、その間際スカーレットへ向かって「ある言葉」を投げかける。しかし民衆の怒声にかき消され、彼女はその言葉を聞くことができない。つまり「ある言葉」こそが、この物語の核心をなすキーワードになっているだが、そのあたりの詳細は後段へ譲ることとする。
父を殺され恨みを抱くスカーレットは、王女としての地位は保たれたまま成長する。剣の技を磨き、敵討ちの機会をうかがいながら数年が経つ中、ある王家主催の宴会の席で、その目的を果たそうとする。しかし宴会で出されグラスから飲み物を摂取したスカーレットは、叔父クローディアス王に毒殺されてしまう。
~死者の国・Bパート~
気が付くとそこは《死者の国》である。スカーレットは自分が暗殺されたことを悟り、この世界で生き抜くことを決心する。だが《死者の国》でも怪我をするし、死ぬこともある。後にこの世界で死ぬことは「永遠の死(虚無になる)」を意味し、虚無になることでこの世の誰からも思い出されることのない「存在の抹消」を迎えることを知り、恐怖を覚える。そんな中、同じようにこの世界に現れた現代人である看護師・聖と出会う。
聖は現代人として登場してくるので、彼の意識は我々が持っている感覚をそのまま反映しているといえるだろう。つまり傷ついた者を「救済」したいのである。叔父王や父王の周りにいた裏切り者たちを殺害しようとするスカーレットにとって、聖は意見の合わない異端児としてしか見ることはできない。しかしスカーレットが無謀な敵討ちを目指していることを知って、彼女と共に行動することになる。
さて、この世界はあらゆる「時間の集まる場所」というセリフがあったと思う。賢者らしき老婆のセリフだ。このセリフはある種のマジックのように働く。つまりスカーレットの時間と聖の時間が、無理なく遭遇するための仕掛けとして機能することを意味する。スカーレットと聖は、同じ時間を共有することが宿命づけられていたという訳なのだが、そこには当然のことながら、作者の明確な意図が存在する。
前近代的な時代を生きるスカーレットと、現代に生きる聖との意識の違いは何か。多くの人に当然理解されるだろうその決定的な違いは、人権意識と多様性といえるのではないだろうか。究極的なことを言えば、この物語は、スカーレットが現代的な人権問題と多様性を認識することで、宿敵である叔父クローディアスの悪行を許す物語ということなのだといっていい。その点、ハムレットを下敷きにしている意味があろうというものである。結末は真逆なのだ。つまり聖はそのメッセージを伝えるために、スカーレットに“会いに来た”のである。
~精神分析とユング心理学~
フロイトの精神分析は、彼曰く「科学」であるらしい。なかなかそうは思えない学問領域ではあるが、彼は真剣にそう考えていた。確かにその基本的な考えのベースとなるのは、「その人物が苦しいと感じるのは、すべてその人が経験したことに由来する」、ということなのである。理屈をこねれば、「経験した出来事に縛られるから、そこから抜け出せずに今を苦しんでいる」ということなのである。だからその人物の経験を100%解明することができれば、その苦しみから解放されるということになろう。可能かどうかは別にしても…。その点は解明できる可能性を有しているので「科学」ということができるのかもしれない。
それに対してユングは、経験したことの無いことであっても、考慮しなくてはならないこともあるだろう、と主張している。それは一体どういうことなのだろうか。ユングの親は「あの世」と縁があったらしい。いわゆる「見える人」だったらしいのだ。つまりユングは、スピリチュアル的な現象も考慮する必要があると考えていた。フロイトと決別したのは、このような考え方の決定的な違いによるものだったと言われている。
しかし、この出来事があったからこそ集合的無意識といった、今に続くユング心理学の基礎を構築できたのかもしれない。「出会ったことの無い人が夢の中に現れて、何かしらを告げる」、あるいは「人々が大波に巻き込まれて、流されていくイメージから第一次世界大戦を予知した」といった逸話は、ユング心理学の中では考慮しなければならないこととして、有名な話である。
そう考えると、この物語はユング心理学的に考えることができそうである。というより精神分析的にはなかなか難しいかもしれないことは、容易に想像がつくだろう。絶対に経験できないような出来事によって、スカーレットは新たな気付きを得るのである。その体験は非科学的な極致と言っていいのだが、そのような体験が最も強烈に感じられる場面がある。それは現代社会の中で、二人がダンスをするシーンである。かなり強烈な違和感がある場面だが、彼女の心が聖の世界の夢に触れるシーンとして結構大事な場面でもある。しかし同時に、圧倒的な人たちはこの場面に遭遇して、ひっくり返るほどの衝撃を受けたに違いない。
その他にも《死者の国》には様々な存在が登場するのだが、印象的なのはキャラバン隊であろう。不思議と子供がいない高齢者たち部隊である。というのも、《死者の国》だから高齢者率が高いと解釈もできるし、スカーレットに何らかの英知を授けるような存在として登場しているようにも見える。スカーレットは彼らとの関わりの中で、ひと時の安らぎを得る、心のオアシスのような存在といえるのかも知れない。
そしてもう一つ忘れてはならないのは巨大な黒龍の存在である。物語冒頭にも登場するし、最後にも登場する。これといった登場のパターンがあるわけでもないらしい。では一体どのような役割があるのだろうか?
参考になるか分からないが、このような「思い通りにならない存在」のことを自然現象に例えることがある。雷や洪水や、地震などである。ここでの黒龍はまさに雷(いかずち)を放ち、《死者の国》にいる存在を虚無へと送り込む災害級の存在として描かれている。すなわちそれは運命であり、神ともいえる存在であろう。この黒龍が叔父王クローディアスを虚無へと送る《死者の国》最後のシーンは、この物語の究極的なテーマの一つでもある。すなわち「運命は善行を助ける」とでも言えばいいだろうか。
~王女の再生・Cパート~
最後になるが、父王を裏切った腹心二名から父の最後の言葉として、スカーレットは思わぬことを聞かされる。「許せ」。腹心たちも、この言葉を聞いて一瞬たじろいだことを口にしているように、彼らも含めてスカーレットにとっても驚きの一言だったようだ。
復讐を果たすハムレットと違い、スカーレットは自ら手を下すことはしていない。「許した」のかどうかは分からないが、彼女の代わりに黒龍が天罰を下している。細田監督の意思は、つまりそういう事なのだろう。「復讐ではない方法を考えなさい」ということだ。確かに美しい終結ではあると思うのだが、現実社会の情勢に思いを向けると、なかなか「そうだね」と言い切ることも難しい時代になってしまった。
現在でもウクライナ・ロシア紛争は継続している。アメリカ・トランプ政権は世界を相手にありえない関税ディールを仕掛けている。また最近では同盟国デンマークの領地、グリーンランドを手に入れようと必死になっている。今まで「正義」と信じて疑わなかった「常識」が音を立てて崩れ落ちているのである。アメリカに依存することで自国の平和を確保してきた私たちだが、今後も同じような生き方でいのだろうか。そんな思いに駆られるのは私だけではないだろう。
今までなら、この物語のエンディングも好意的に観られたと思うのだが、残念なことに何とも言えない違和感が残ってしまった。やはり叔父王クローディアスは最後まで改心することはなく、たまたま黒龍が叔父王に雷を落とすことで復讐は果たされた。スカーレットはそこから一体何を学んだというのだろうか。自らの最終意思決定が他者(黒龍あるいは運命)への依存であったということは、最後までスカーレットを意思の弱い人物として認識させるようで、その点は少し残念な気がした。厳しい判断のできない人物が、一国の運命を指導していくということができるのだろうか、などと余計なことかもしれないがエンディングに感動しつつも、彼女の国の先行きを心配している自分がいた。
~おわりに~
「果てしなきスカーレット」は大変不評で、だからこそ内容を検討してみたくなった次第です。細田監督の個人的な想いの詰まったドラマチックなアニメでしたが、多少一方通行のところがあったように感じます。ただ「映像」については様々な挑戦をされていて、目を見張るものがありました。アニメと実写とが見事に融合していましたし、緻密な画面構成は細田監督ならではといえるものだったと思います。
最後に、スカーレット役の芦田愛菜ちゃんですが、とてもがんばっていたと思います。ただテレビでよく見る顔なので、どうしても天真爛漫な彼女の顔が頭に浮かんできて、物語に集中するのが難しかったように感じます。愛菜ちゃんが苦しむ声など、あまり聞きたくないもので…。そういう意味では職業声優さんを使った方が良かったのではないでしょうか。例えば『沢城みゆき』さんとか『小松未可子』さん、などのお名前が筆頭に思い浮かびます。
さて、いろいろと思うところを書いてきました。みなさんは本編をご覧になったでしょうか。最新の情報では日本アカデミー賞を逃したようです。アニメーション作品賞として「鬼滅の刃」「チェンソーマン」「ひゃくえむ」「ペリリュー」「名探偵コナン」の名前が挙がっていました。監督賞以外でも全く評価されなかったようです。常連だったのに残念でしょうね。
ではでは、また
【2026/06/24更新】
~私からChat GPTに対する問い~
アニメ映画「果てしなきスカーレット」という作品があります。この作品についての投稿から読み取れるいくつかのテーマを提示してください。心理学的、宗教学的、あるいは哲学的に重要と思われるいくつかの考察を示してください。
~回答~
ありがとうございます。第81回の記事は確認できました。
記事タイトルは
**「81、ユング心理学で読み解くアニメの世界 『果てしなきスカーレット』」**です。(Midnight_Walkerの日記)
この記事そのものを読むと、単なる映画レビューではなく、かなり明確にユング心理学を軸に作品を解釈しようとしていることが分かります。あなたがこれまで『夏へのトンネル』をゲシュタルト療法や再決断療法で読んだように、この作品も「心の変容の物語」として読むと面白いと思います。
私が特に重要だと感じたテーマをいくつか挙げます。
1. 「死者の国」は無意識の世界
ユング心理学的には、
-
洞窟
-
地下世界
-
冥界
-
死者の国
はしばしば無意識を象徴します。
『果てしなきスカーレット』では、主人公スカーレットは復讐に失敗した後、「死者の国」で目覚めます。(CINEMA FACTORY)
普通の物語なら、
敵を倒す旅
になります。
しかしユング的には、
自分の無意識へ下降する旅
とも読めます。
これは『千と千尋の神隠し』の異界や、『夏へのトンネル』のトンネルとも少し似ています。
つまり敵は外にいるようで、
実際には主人公自身の内面にいる。
2. クローディアスは「シャドウ」
ユングの有名な概念に
シャドウ(影)
があります。
シャドウとは、
自分が認めたくない心の側面です。
『果てしなきスカーレット』をこの観点で読むと、
クローディアスは単なる悪役ではなく、
スカーレット自身の
-
怒り
-
憎しみ
-
支配欲
-
復讐心
を映す存在とも読めます。(日々の栞)
だから最後の対決は、
敵との戦いというより
自分の影との対決
になります。
3. 父の仇討ちではなく「自己赦し」の物語
ここが非常に重要です。
記事でも強調されているようですが、物語終盤でスカーレットは、
父の最後の言葉は「復讐しろ」ではなく「自分を許せ」だった
ことに気づきます。(日々の栞)
これは心理学的に非常に大きな転換です。
彼女は表面的には叔父を憎んでいます。
しかし本当に許せなかったのは、
父を守れなかった自分
なのです。
これはあなたが『夏へのトンネル』で注目したカオルの構造とかなり似ています。
4. 聖(ひじり)は「アニムス」かもしれない
ユング心理学では、
女性の無意識に存在する男性的側面を
アニムス
と呼びます。
スカーレットは
-
戦う
-
復讐する
-
支配する
という世界で生きています。
一方、聖は
-
癒やす
-
看護する
-
命を守る
側にいます。(CINEMA FACTORY)
興味深いのは、
彼が戦士ではなく看護師であることです。
彼はスカーレットの心に欠けていた側面を象徴しているようにも見えます。
つまり恋愛相手であるだけでなく、
彼女自身の未発達な人格の一部を体現している存在です。
5. 復讐は「悲嘆の固定化」
ここは私自身が強く感じたテーマです。
トラウマ心理学では、
悲しみが処理されないと、
怒りとして固定化されることがあります。
スカーレットは、
父の死を悼む代わりに、
復讐へ向かいます。
そのため心の時間が止まります。
これは以前あなたが
「罪悪感によって凍結した時間」
と表現した『夏へのトンネル』と非常によく似ています。
復讐とは、
悲しみを感じないための防衛でもあるのです。
6. 「見果てぬ場所」は自己実現の象徴
作品には
見果てぬ場所
という目的地があります。(日々の栞)
ユングなら、
これを
自己(Self)
の象徴
として読む可能性があります。
ユング心理学でいう「自己」は、
エゴを超えた人格全体です。
主人公は敵を追っているつもりですが、
実際には
自分自身になるための旅
をしています。
7. 宗教学的には「煉獄」の物語
あなたが以前『夏へのトンネル』で興味を示された視点ですが、
死者の国は地獄よりも
煉獄
に近い印象があります。
煉獄とは、
罰を受ける場所ではなく、
執着が浄化される場所です。
スカーレットは
-
復讐への執着
-
父への執着
-
過去への執着
を抱えています。
死者の国の旅は、
それらを少しずつ手放す過程として読めます。(日々の栞)
8. 哲学的には「正義とは何か」
最後に哲学的テーマです。
物語は
復讐は正しいのか
という問いから始まります。
しかし終盤では
正義を実現することと、憎しみ続けることは同じなのか
という問いに変化します。(日々の栞)
ここには
フリードリヒ・ニーチェ
の有名な問題、
怪物と戦う者は、自らも怪物にならぬよう気をつけよ
にも通じるものがあります。
あなたのこれまでの映画の読み方を踏まえると、この第81回の記事から引き出せる最大のテーマは、
「敵を赦すかどうか」ではなく、「自分自身を赦せるかどうか」
だと思います。
『夏へのトンネル』ではカオルが妹を救えなかった自分を抱え直す物語でした。
『果てしなきスカーレット』では、スカーレットが父を救えなかった自分を抱え直す物語として読めます。
その意味では両作品とも、
過去を変える物語ではなく、「過去との関係を変える物語」
として非常に近い構造を持っているように見えます。(Midnight_Walkerの日記)
~私からChat GPTに対する問い~その2
私が提示した視点に関わらず「果てしなきスカーレット」についてどのようなテーマが話されているのでしょうか。この映画は公開当時大変不評だったので、多くの観衆がどのように評価したのかが気になります。かいつまんで提示してみてください。
~回答~その2
『果てしなきスカーレット』については、作品そのもののテーマよりも、
「何を描きたかったのかは分かるが、それが観客に十分伝わらなかった」
という評価が非常に多かったようです。公開後のレビューや議論を見ると、評価はかなり二極化していました。(シネマトゥデイ)
大まかに整理すると、観客が語っていたテーマは次のようなものです。
1. 最も頻繁に語られたテーマ
「復讐は人を救うのか」
これはほぼ全ての感想で触れられています。
スカーレットは父の仇を討とうとしますが、物語は単純な復讐譚にはなりません。
多くの観客は、
-
復讐
-
憎しみ
-
許し
-
生き直し
を描こうとした作品だと受け取っています。(シネマトゥデイ)
ただし批判的な観客からは、
「復讐はよくない、という結論が最初から見えてしまう」
という意見も少なくありませんでした。(Filmarks)
2. 「死後の世界」は何を意味するのか
批評家や考察好きの観客は、
死者の国を
-
無意識
-
煉獄
-
心の迷宮
として読んでいました。(シネマトゥデイ)
一方で一般観客からは、
「死者の国のルールが分からない」
という不満も多く見られました。(Filmarks)
つまり、
象徴としては豊かだが、物語世界としては理解しづらい
という反応です。
3. ハムレット的テーマ
映画は明らかに
ハムレット
を下敷きにしています。
そのため、
「復讐すべきか」
よりも
「人はどう生きるべきか」
が本当のテーマだと読む人もいました。(シネマトゥデイ)
これはかなり哲学的な読み方です。
4. 「生と死の境界」
映画を好意的に受け止めた人たちは、
この作品を
「死者を描く映画ではなく、生きることを描く映画」
として見ています。(シネマトゥデイ)
死後世界の旅を通じて、
主人公が生きる理由を見つけていく物語だ、
という解釈です。
なぜ不評だったのか
ここが興味深いところです。
不評だった理由は必ずしもテーマそのものではありません。
むしろ、
テーマの伝達方法
に批判が集中しています。
① 主人公に感情移入しにくい
かなり多かった意見です。
観客は
-
なぜそこまで復讐に執着するのか
-
なぜその選択をするのか
を十分に理解できず、
感情移入が難しかったという感想がありました。(Filmarks)
② 世界観の説明不足
特に多かった批判です。
死者の国について、
-
何が可能なのか
-
なぜそうなるのか
が曖昧で、
「象徴としては面白いが物語として追いづらい」
と感じる人が多かったようです。(Filmarks)
③ テーマが先に見えてしまう
観客の中には、
「結局は復讐を超えていく話だろう」
と序盤で予想できてしまった、
という人もいました。(Filmarks)
そのため、
心理的葛藤よりも説教的な印象を受けたという批判があります。(Filmarks)
④ ジャンルの混在
好意的な批評家は
「野心的」
と評価しましたが、(シネマトゥデイ)
一般観客の一部は
「何の映画なのか分からない」
と感じたようです。(Filmarks)
作品には
-
復讐劇
-
ファンタジー
-
死後世界
-
恋愛
-
冒険
-
哲学
が同時に入っています。
そのため統一感を欠くと感じた人もいました。
逆に熱心な支持者が見ていたもの
興味深いのは、
高評価の観客はストーリーよりも
「感情の変容」
を見ていることです。(映画.com)
彼らにとっては、
-
復讐劇
-
世界観
は表面であり、
本質は
「傷ついた人間が、自分の怒りを手放せるか」
という内面的な旅でした。
あなたが興味を持ちそうな点
これまでの会話を見ると、
あなたは『夏へのトンネル』を
「過去との関係を変える物語」
として読み、
『打ち上げ花火』を
「世界観が揺らぐ物語」
として読んでいました。
その視点からすると、『果てしなきスカーレット』で本当に面白いのは、
「復讐の物語」
ではなく、
「怒りによって固定化された自己が、どう変容するか」
という部分だと思います。
実際には、多くの一般観客はそこまで心理学的・象徴的には読まず、
-
話が分かりにくい
-
世界観が曖昧
-
主人公に入り込めない
という点を強く感じたようです。(Filmarks)
そのため、この作品は「テーマを巡って議論される映画」というより、
「テーマは評価されるが、物語の見せ方で大きく賛否が割れた映画」
として記憶されているように見えます。(シネマトゥデイ)
~私からChat GPTに対する問い~その3
「物語の見せ方で大きく賛否が割れた映画」との指摘ですが、具体的にどのような表現が議題に上がったのですか。
~回答~その3
賛否が割れた理由を詳しく見ると、「テーマ」よりもむしろ演出上の選択が議論の中心になっていました。
特に大きかったのは次の5点です。 (popversemix.com)
1. ミュージカル演出の是非
最も議論になったのはこれです。
本作では突然歌い出したり、群衆が踊ったりする場面があります。
支持派は、
言葉では表現できない感情を象徴的に表した
と評価しました。
一方で批判派は、
なぜ今歌うのか分からない
感情の流れと繋がっていない
と感じました。 (popversemix.com)
心理学的に見ると
面白いのは、
この演出自体は実はかなり心理学的です。
現実では人は歌いません。
しかし夢の中では、
突然場面が変わったり、
感情が空間全体に広がったりします。
つまり映画は、
現実描写よりも
主人公の内面風景
を描こうとした可能性があります。
ところが多くの観客は
「物語の現実」
として見ていたため、
違和感として受け取ったのです。
2. 死者の国のルール説明不足
これはかなり多く指摘されています。 (popversemix.com)
例えば観客は、
-
なぜ色が消えるのか
-
虚無とは何か
-
ドラゴンとは何か
-
なぜ現代人の聖がそこにいるのか
を知りたがりました。
しかし映画は十分に説明しません。
象徴として見ると
実は宗教や神話では、
冥界は説明されないことが多いです。
例えば
ダンテ・アリギエーリ
や
オルフェウス
の冥界も、
論理的空間というより象徴空間です。
しかし現代の観客は
ファンタジー作品に
「世界設定の整合性」
を期待します。
そのズレが起きました。
3. スカーレットの感情変化が見えにくい
これも頻繁に語られました。 (popversemix.com)
観客の中には、
なぜそこまで復讐したいのか
が十分に伝わらないと感じた人がいました。
心理学的には、
映画は悲しみより先に怒りを描いています。
しかし実際には、
怒りの下には悲しみがあります。
その悲しみの描写が少ないため、
感情移入できなかった人が多かったようです。
4. 聖(ひじり)の役割
意外と議論になったのが聖です。 (popversemix.com)
支持派は、
復讐一色の世界に別の価値観を持ち込む人物
と評価しました。
批判派は、
なぜそこまでスカーレットに関わるのか分からない
と感じました。
これは脚本上というより、
象徴的人物として描くか、
リアルな人物として描くか
の問題です。
映画は前者寄りでした。
しかし観客の多くは後者として見ていました。
5. 「説明しすぎ」と「説明不足」が同時に起きた
ここが一番興味深い点です。
普通は、
説明不足か説明過剰か
どちらかです。
しかし本作は、
両方の批判を受けています。 (Reddit)
例えば、
-
世界観は説明不足
-
テーマは台詞で説明しすぎ
という評価です。
つまり何が起きたのか
観客が知りたいのは
「この世界で何が起きているのか」
でした。
しかし映画が語りたいのは
「復讐や赦しとは何か」
でした。
そのため、
映画が説明したいことと、
観客が説明してほしいことが
食い違ってしまったのです。
哲学的に見ると
私はこの作品への批判で最も面白いのは、
「物語として見た人ほど低評価になりやすい」
という点だと思います。 (popversemix.com)
逆に、
「寓話・夢・神話として見た人」
は比較的高評価でした。 (popversemix.com)
これは例えば、
2001年宇宙の旅
や
マルホランド・ドライブ
にも見られる現象です。
「何が起きたのか」を求める人と、
「何を象徴しているのか」を求める人で評価が割れる。
『果てしなきスカーレット』もまさにそのタイプの作品だったように思います。
そのため、「失敗した映画」と一言で片付けるより、
物語としては整理不足だったが、寓話や心理劇としては解釈の余地が大きい映画
というのが、公開後の議論全体を見たときの比較的公平な総括ではないかと思います。 (popversemix.com)
以上
Midnight_Walkerによる追記