80,心理学で読み解く映画の世界

          心理学で読み解く映画の世界

          「イニシェリン島の精霊」

 

 

「イニシェリン島の精霊」という映画を観てきました。公式Webページでは「本作の舞台は本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。島民全員が顔見知りのこの平和な小さい島で、気のいい男パードリックは長年の友情をはぐくんできたはずだった友人コルムに突然の絶縁を告げられる。」と紹介されています。

 

絶縁を告げられた後どうなるのか…。

 

前回取り上げた「カラフル・第一回」の中で、兄弟の葛藤を描いた「カインとアベル」の物語を紹介しました。この「イニシェリン島の精霊」という映画は、「カインとアベル」の物語がテーマとしていることと通底しているように感じますので、今回はそのあたりを中心に思うところを書いてみたいと思います。

 

ではこれ以下、「イニシェリン島の精霊」のストーリーについても言及していきますので、ご覧になっていない方はご注意ください。なお、映画館で一度観ただけですので、記憶違いなどあるかもしれません。その点、どうぞご容赦願います。

 

 

さて、絶縁を告げられた後どうなるのか…。

この映画は、ただただ二人の仲が悪くなっていくだけの映画です。

 

物語が始まると、主人公パードリックは友人コルムから「もう自分と関わって欲しくない」と告げられます。いきなりの宣言にパードリックは言葉を失います。『何か怒らせるようなことをしたのだろうか…。』パードリックは自問自答しますが答えを見出せません。

 

納得のいかないパードリックは何度となくコルムに話しかけますが、コルムの気持ちは変わりません。コルムの言い分はこうです。「君は退屈な男だ。君と話すことは時間の無駄だ。自分にはやりたいことがあるので、君との時間を過ごしたくない。」

 

中でも「ロバのクソの話を二時間聞かされたときはうんざりだった」と言われ、パードリックは言葉を失います。彼は「楽しい時間を過ごしたじゃないか」と応じますが、コルムの考えは変わりません。パードリックは一人悶々とした時間を過ごしますが、話をすれば分かり合えると考え、引き続きコルムに話しかる機会を得ようとします。

 

するとコルムはついにキレて、次のようなことを宣言します。「お前が私に話しかけるたびに、私は左手の指を一本ずつ切り取る。指が全部なくなればバイオリンを弾くこともできなくなるので、その時は静かな時間の中で生きていく。だから私に話しかけないでくれ!」

 

パードリックは絶句します。しばらくは会話を慎んでいるものの、しかしやがてコルムに話しかけてしまいます。コルムの様子から、怒ってはいないと考えていたパードリックでしたが、その後自宅のドアに何かが当たる音がして確認のために外に出てみると、そこには切り落とされた指が落ちていました。

 

さて、物語は以上のような内容が延々と続いて、結局コルムは左手の指をすべて切り落としてしまいます。そしてさらに悲劇が起こります。

 

パードリックのロバが彼の家の庭で死体となって発見されます。ロバは切り取られた指をくわえていました。彼はロバが毒殺されたと考え、コルムに対して憎しみを向けます。復讐を決心したパードリックはコルムの家に火をつけることを宣言し、その通りに行動します。

 

その際、コルムの飼い犬には責任がないと思ったパードリックは、その犬を連れて自宅で世話をします。翌日、パードリックは燃え尽きたコルムの家に犬を連れて戻ってくると、犬はコルムの所に駆け寄ります。パードリックは、家の近くで佇んでいるコルムに近づきます。

 

コルムはパードリックに話しかけます。「犬の世話をしてくれてありがとう。」そして「ロバのことはすまなかった。」毒殺しようとしたわけではないことをパードリックに告げ、そのことを謝罪するのですが、パードリックはその言葉を受け入れることができません。パードリックは「もう戻ることはできない」と言ってその場から去っていきます。

 

 

カインとアベルの物語を思い出していただきたのですが、カインはアベルの捧げものを喜んだ神に対して、良くない考えを持ってしまいます。「公平、公正なはずの神が片方だけをひいきしている」カインはそう考え、褒められたアベルに憎しみの感情を持ってしまい、彼を殺します。

 

パードリックとコルムもこの関係に似ているような気がします。カインがアベルに嫉妬と羨望の感情を向けるのと同じように、パードリックはコルムに、一方的な友情と関係の修復を求めます。

 

コルムが「神」によって祝福されたかは分かりませんが、少なくとも彼は正直に付き合えない理由や、自分を守るための方法(指を切る)を公然の場で宣言しています。また意図しなかったロバの死亡についても率直に謝罪しています。

彼はただ、自分に残された時間を最大限に活用したかったに過ぎないのです。

 

何度も何度も「関わって欲しくない」と言っているにも関わらず、パードリックは自分の考えを替えることができませんでした。これはカインがアベルに対して抱いた感情を抑えることができなかったことと同じではないでしょうか。「褒められてよかったね、ぼくも褒められるように頑張るね」のような感情をカインは持つことができませんでした。

 

パードリックもコルムの側に立つことができませんでした。「自身の生き方を見つけたんだね、ぼくも自分の時間を大切にするね」という感情を持つことができたなら、パードリックはこのような結果を迎えることにはならなかったでしょう。

 

しかし、みなさまご存じのようにカインとアベルの物語は殺人という最悪の結果を迎えます。つまりこの「イニシェリン島の精霊」という物語も最悪の結末を迎えなければならない宿命を背負っているのです。

 

カインが神から罰を受けて永遠の呪いを受けるのと同じように、パードリックも「もう戻れない確執」に支配され、親友コルムとの闘いに身を投じることになるのです。パードリックとコルムとの永遠の戦いが始まるという訳です。

 

 

カインとアベルの物語を参考にしましたが、同時に男女間のトラブル、特にストーカー問題をも包含しているような気がします。一般的に言うと、女性(コルム)にはもう愛情もなく別れたいにも関わらず男性(パードリック)は、話せばわかる、昔のような関係に戻れるはずだと考え、暴走するようなものです。パードリックの考えは、現在では全く的外れの迷惑行為ということになるのかもしれません。

 

さて、先にも述べたように、この物語はただただ仲が悪くなっていく展開で、救いようのないストーリーなのですが、ゴールデングローブ賞の受賞に続き、第95回アカデミー賞の9部門にノミネートされたようです。

 

美しい島の風景やその時代の風物が情緒豊かに描かれていて、アイリッシュミュージックが好きな私にはとても楽しめた作品でした。しかしながら、西洋的な価値観が全体的に重々しさを与えて、見続けるのが辛くなってきます。

 

先にお話ししたように、カインとアベルの物語を現代風に大きくリメークした寓話であると考えると、あまり苦にならずに最後まで鑑賞できるかもしれません。あまりリアルに考えない方がいいような気がします。参考までに…。

 

 

私の近所、川崎チネチッタでは2023年2月22日まで公開されています。よろしければ是非ご覧ください。