75,心理学で読み解く映画の世界

            心理学で読み解く映画の世界

              映画「LAMB/ラム」

 

 

最近「LAMB/ラム」という映画を見ました。カンヌ映画祭で話題となったようで、公式ホームページを見ると、一見穏やかなイメージを与えますが、なかなかメッセージ性の強い映画であることを感じます。筆者は全く事前の予備知識なしに見たので、ある意味この映画のもつエッセンスをダイレクトに受け止められたのではないかと思っています。確かに衝撃的な場面もありましたが、見終わってみると、むしろ滑稽な印象の方が強かったように感じます。

 

今回は映画「LAMB/ラム」について思うところを書いてみたいのですが、まだご覧になっていない方にはご注意いただきたいと思います。当然のことながら映画の核心的なストーリーについて触れていきますので、ご興味のある方はぜひ本編をご覧になってからこの投稿をお読みいただきたいと思います。

 

 

では先ず、ストーリーを追いながら話を進めてまいります。映画に登場するのはほんの数人です。時代はほぼ現代、アイスランドの片田舎で羊飼いをしている中年夫婦の妻、夫、そして中盤から登場する夫の弟の三人です。

 

羊の出産の時期を迎えて夫婦は毎日忙しく仕事に精を出していますが、ある日生まれてきた子羊が「普通ではない」ことから、夫婦はこの子羊を家畜小屋から連れ出し、自分たちの寝室で世話を始めます。夫婦がなぜ子羊を自分たちの寝室で世話することになったのか…。それは子羊が半人半獣の姿をしていたからなのです。

 

夫婦は子羊に愛情を傾けます。それはあたかも自分たちの間に生まれた子供のように…。その後夫婦は生命力を取り戻したかのように、人としての活力を復活させます。しばらくご無沙汰であった夫婦の営みをも取り戻し、しばしの間二人は充実した時間を過ごすことになります。

 

しかし子羊は家畜小屋の羊から生まれたのです。子羊を生んだ母羊は連日夫婦の寝室の近くで鳴き声を上げ、子羊を返してほしいとの声を上げます。母羊の行動にいら立ちを感じた妻は、母羊を牧場の一角へ連れ出すとライフルで撃ち殺してしまいます。

 

そんな時、夫の弟が現れます。半分遊び人みたいな生活をしている弟は、転がり込むように兄夫婦の羊農場へやってきます。三人は昔を懐かしむように楽しい時間を過ごしますが、弟は夫婦が得体のしれない存在に心が支配されていることに心を痛めます。

 

たまたま妻が母羊を撃ち殺すところを目撃していた弟は、そのことを「出し」にして兄嫁に色目を使います。しかし妻は弟を部屋に閉じ込めその家から出ていくように促し、その後弟は静かに農場を去ります。

 

やっと落ち着いた生活を取り戻せると思ったのも束の間、子羊アダ(亡くなった娘の名前)と一緒に外出していた夫が、何者かに撃ち殺されてしまいます。銃声を聞いた妻は、夫の元へとやってきますが、瀕死の夫はやがて息絶えます。そしてただ一人、妻は成すすべもなく悲しみに打ちひしがれるのです。

 

夫を撃った犯人は、羊の姿をした神というイメージで描かれています。いわゆるパンという牧神が、自分の子供であるアダを連れ戻しにやってきたという解釈ができるのではないでしょうか。

 

牧神はアダの手を引いて山の方へ姿を消していきます。二人の姿が見えなくなった後、妻は夫の元に駆け寄り夫の最後を見届けます。カメラは悲しみの妻の表情を捉え続けて終幕を迎えます。

 

 

寓話というのは、過去の出来事などから教訓的にそのエッセンスを伝えるものだろうと思います。ここで重要なのは「教訓的」ということです。つまり何か意味あることを伝えるために、事の次第を分かりやすく昔話風に簡素化しているということなのです。

 

ラムという映画は登場人物が少ない分、それらが意味していることが何なのかがとても明確に伝わってくるように感じられます。例えば主役である夫婦は、アダムとイブに重ねることが出来るでしょう。ここでの夫(アダム)は、あまり深く考えることなく、ごく普通の日常を過ごしているように見えます。

 

しかし妻(イブ)は子羊に対して特別な感情を持ってしまいます。自分の子供ではないのに、子羊を自分のものとしてしまいます。そのために、あろうことか本当の母親(母羊)を殺してしまうのです。きっと多くの方々は「罪深い行動」と感じられたのではないでしょうか。

 

他者のものを自分のものとしたのです。これは禁じられた木の実(リンゴ)を我がものとしたイブの罪と似ているような気がします。作者が旧約聖書をイメージしたかは分かりませんが、映画では妻の行為に対してかなりの悪意を連想させる表現となっています。

 

アダムとイブはエデンの園を追われます。これは禁断の実である知恵の実(リンゴ)を食べたからだと言われていますが、実はリンゴを食べた後、生命の実をも食べようとしたからだと考えられています。アダムとイブが神のように知恵を持った後、さらに永遠の命を得ることに対して、神が危機を感じたからだというのがこの物語の解釈として定着しています。

 

さて“夫婦のとった行動は、エデンの園を追われるほどのものだったのでしょうか…、夫婦はどのような罪を負ったのでしょうか…”

 

夫婦が生活のために母羊をつぶすことと、子羊を我がものとするため(母羊を抹殺するため)に母羊をつぶすこととの間に、どのような差があるのでしょうか。生活のためならつぶしてもよく、妻のわがままのためだったら妻は罪を負わねばならなかったのでしょうか。

 

一般に生活のためなら尊く、エゴのためなら卑しいというのが多くの人の意見かと思いますが、皆さんはどうお考えになるでしょう。もし罪があるのだとしたら、その代償に夫の命は奪われなければならなかったのでしょうか。

 

妻に罪があるとする立場は、道徳的に無駄な殺生は良くないという考えに立脚しているでしょう。つまり物語は、良くない考えに基づいて行動をした妻は、連帯して責任を負う夫がその報いとして、牧神から鉄槌を下されて当然であるという、極めて道徳的な側面を支持していることになります。

 

しかし、妻に罪があるとまではいえないのではないか、という考えもあるでしょう。半人半獣として生まれてきた子羊は、自力では生きられないし、母羊だけでも育てられないと考えれば、夫婦が育てるのが当然であるとする考えです。

 

この立場を取る人からすると、夫が撃ち殺されるのは極めて理不尽であるといえるのではないでしょうか。当然の行動(忌々しい母羊の排除)をしているのであって、何らかの報いを受けなければならないのは、まったくもって不合理であり、夫婦は単なる被害者であると考えることも出来るかもしれません。

 

つまりこの映画の夫婦は、半人半獣の子羊と出会うという奇跡体験をした後、自分たちの生活に不必要な存在(母羊や夫の弟)を排除したのであって、誰かから責められるような行動をしているようには思えないのです。

 

さあ、みなさまはその点をどのように考えられるでしょうか。

 

 

アダ(子羊)は、あたかも大波のように夫婦に押し寄せ、その波の中で二人を翻弄します。やがて夫婦は我を失っていき、最後には波が引くように、牧神がすべてを奪ってこの物語は幕を閉じます。

 

“牧神とは一体何だったのでしょうか。”

 

アダムとイブがエデンの園を追われるとき「地を耕さなければ食べ物を得ることは出来ず、苦しみの中からでしか子供を産むことは出来ない」という苦難が与えられたとされるのですが、この苦難は二人にとって理不尽な仕打ちであったに違いありません。

 

羊飼いの夫婦には、まさにこの理不尽な火の粉が降りかかってきたのであって、アダムとイブが経験した理不尽さと共通するものがあるように感じます。つまり日常は理不尽な出来事であふれているということなのです。

 

 

この物語の夫婦はアダムとイブという人間の起源を表しているだろうし、夫の弟はヘビを表しているでしょう。世間の評価やうわさ話、下賤な人間社会の暗部を暗示しているかのようです。一方牧神はというと…。神…のようなものを象徴しているのかもしれませんが、同時に理不尽な出来事すべてを表現しているのではないでしょうか。

 

ウクライナの人々(羊飼いの夫婦)が一体何をしたというのでしょう。そもそも侵攻を受けるような罪を背負ったのでしょうか。世界(夫の弟)はそれぞれの思惑で不可解な行動をしています。そしてロシアのプーチン(牧神)は全くもって意味不明な行動をしております。まさに理不尽極まりない行動です。

 

あまりいい表現ではありませんが、これこそが人間の世界であり、この中でしか私たちは生きることが出来ないという、きわめて冷徹な視点を持ってこの映画は創られているかのようです。

 

この「LAMB/ラム」という映画は全編を通して静かな世界観を持っているのですが、極めて現実的で、抗うことのできない人間の宿命を直視した現代の寓話となっているように感じます。傑作であるかは別にして、一度はこの世界観に浸ってみるのも一興かもしれません。

 

ちなみに、この映画のように牧神を描いたダークファンタジーに「パンズラビリンス」(牧神パンの迷宮ほどの意味)という映画があります。この映画も「LAMB/ラム」とテーマが重なるように、息苦しいほどの理不尽さが際立っています。…ご参考までに。

 

そろそろ公開の終わりが見えてきています。可能であれば是非ご覧になってはいかがでしょうか。11月中旬から下旬にかけて公開が終わってしまいそうです。

 

では。

 

 

※)映画「LAMB/ラム」2021アイスランド  2022年9月23日公開

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