14、心理学で読み解くアニメの世界
ユング心理学で読むアニメの世界
「色づく世界の明日から」
編集後記
全十三話を見てきて、みなさんはどのようなことを感じられましたでしょうか。ヒトミはずっと、小さいころの想いを持ち続けて成長しました。母親に捨てられたのは自分に責任があると感じていたのです。自分の責任、自責の感情に支配されていたといえるでしょう。自分の行動(決断)とはすでに過ぎたこと、つまり過去に縛られていたことになります。
第十話の終盤で、ヒトミが「お母さんのバカって言えば良かったのに、あたしのバカ!あたしのバカ!」と、ユイトへ自分の心の叫びを伝える場面があります。ヒトミ自身が自覚しているように「お母さんのバカ!」という言葉は以前には言えなかったのです。しかし“今(現在)”の苦しみに目を向けたからこそ、ようやくお母さんの責任であること、つまり他者の責任を問えるようになったのでしょう。
最後には…、言うまでもないことですよね。ヒトミは「もう大丈夫、お母さんを探したい」と言って、未来に目を向けています。ヒトミは困難な状況に目を背けるのではなく、解決できるものとして未来を見ています。
捨てられたという記憶から発生した辛いテーマではあるけれど、お母さんとの関係を“瞳をそらさず”に進んで行けるだろうという希望をもらえると同時に、心洗われる美しい物語として心癒されたことと思います。このアニメがみなさんの心に、色鮮やかな印象をもって見ていただけたのなら大変うれしく思います
さて、一連の投稿もそろそろ終わりが見えてきました。当然のことながら「こう理解することが正しい」などと思って書いているわけではありません。人間の心は広く深遠です。簡単に理解などされないのでしょうけれど、しかし、とても熱心に心の問題に取り組まれた先人たちの知恵や経験は、心を理解しようとするとき、一定の説得力を持っています。決して無視してはいけないことだと思います。
かといって、科学的な真実のみが重要であって、いわゆるスピリチュアルなアプローチが不合理で、そのような研究は評価に値しないと考えることも、心を扱おうとする者にとっては、ある意味不合理といえるのかもしれません。理解できないことなど、日常茶飯事なのですから。
では本当の最後に、金色のサカナについてちょっとだけ触れておきます。ヒトミにコハクがいたように、ユイトにも金色のサカナがいました。コハクが老賢者であるのと同様にサカナも老賢者だったと考えることもできます。コハクとサカナという影の主役がヒトミとユイトを導いたといえるでしょう。では、サカナは“誰あるいは何”を象徴しているのでしょうか。第十一話で“ユイトの根源的な魂を象徴していると思われる”と表現しましたが、も少し詳しく考えてみて下さい。…これはみなさんへの課題にします。
神話や民話、その他様々な物語から私たちは生きる道や深い知恵など、豊かな人の営みを学んできました。アニメ作品も、現代では重要な文芸作品であるし、とても重要な地位を占めています。“面白い”、“つまらない”も一つの判断基準だと思いますが、物語の設定を少し変えてみたり、象徴しているものが何なのかを考えてみると、その物語の意外な一面に触れることができるかもしれません。いろんな視点を持つことは、きっと人生に役立つのではないでしょうか。
全十三話のyoutube動画をご覧いただき、また1∔13∔1の投稿をお読みいただきまして、本当にありがとうございました。コロナの影響で外出することも叶わず、家に留まりながら時間を過ごすことは、忙しく生きる現代人にとって、かなりの苦痛だったと思います。
コロナはこのところ落ち着きを取り戻しつつありますが「新しい日常」に戸惑うばかりですね。第二、第三の波に注意を向けながらも、この投稿が、何かしら有意義に過ごすことへのお役に立てたのであれば幸いに思います。
ご参加ありがとうございました。
Midnight Walker