15、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

              「言の葉の庭

 

 

第一回

 

はじめに

 

当ブログ最初の投稿「0、心理学で読み解くアニメの世界」にも書きましたが、今までの勉強会で取り上げたアニメ作品のレジュメをもう一度読み直し、修正などを加えてからこのブログに投稿することといたします。勉強会では、口頭でも説明することを前提としていたので、今読み直すと、もう少し丁寧に書いておいた方がいいなと感じることが多々あります。ですので、より分りやすく書いてみたいと思います。

 

今回を含め、全五回の投稿で新海誠監督作品の中編アニメ「言の葉の庭」(45分)を取り上げます。レジュメの詳細はこの後二回に分けて、三回目にレビュー投稿した文面を、最後に編集後記を記してみたいと思います。今回は作品を観るためのちょっとした事前説明などをしてみます。なお、物語の詳細を説明しますので、まだご覧になっていない方は、一度作品をゆっくり鑑賞することをお勧めいたします。

 

 

物語は、淡々とした詩的な表現の中にも、どこか真っすぐで、不器用ともいえる主人公達の人間性が表されています。雪野も孝雄も、楽しくて公園の東屋でサボっていたわけではありません。それぞれが自分の課題と必死に向き合っていたのです。

 

はじめは偶然の出会いだったのかもしれませんが、二度、三度と出会いを重ねるうちに、お互いの心にわずかながらも変化が生じ始めます。この物語は、偶然の出会いによって、二人の心に生じた様々な葛藤を読み解くことで、淡い恋物語とは一味違った側面が見えてくるのではないかと思っています。

 

ブログ管理者(筆者)は特に、同じ場所、同じ時間、同じ状況という視点に着目し、カウンセリングにおける制限された枠組みとしての「器(うつわ)」という考え方について説明したいと思います。

 

 

以下「だ・である調(常体)」で記述します。なお、※マークは筆者のコメントで、その場面ごとに記述します。

 

 

一、

 

現在行われているようなカウンセリングスタイルの創世期には、カウンセラーとクライアントがどのような関係性を構築すべきかについての、検討すべき様々な事例が数多く報告されている。中でも、フロイトより年長であるブロイアーが経験した出来事は、永遠に語り継がれる歴史的遺産ともいえるような衝撃的事例である。

 

かつてのカウンセリングは、クライアントの要請によっていつでもその場に駆けつけ、時間など制限無しに行われていた。とても熱心に取り組んでいたといえるのだが、しかしそのせいで、ブロイアーのクライアント、O・アンナはブロイアーに対して激しい恋愛感情を持ってしまった。

 

ブロイアーの子供を身ごもったと“想像妊娠”してしまったほどである。その結果、ブロイアーは治療関係の維持を断念し、後世まで語り継がれる出来事として記録されることとなった。その後、再度治療関係を持つことが無かったため、一説では逃げ出したなどといわれている。

 

苦しんでおられるクライアントに寄り添い、何とかして差し上げたいと考えるカウンセラーは大勢いるだろう。しかしクライアントの要求に対して、制限の無い関わりを持つことは現実的に不可能である。そのような関わりは、クライアントが“愛情ゆえの奉仕”であると誤解しやすく、恋愛の感情に陥りやすい。

 

一旦結んだ関係を後戻りさせるような対応、つまり何らかの制限をかけようとすると、クライアントはカウンセラーから“捨てられた”という強烈な不満を感じてしまう場合が多い。関係がギクシャクしてしまい、結果としてクライアントの利益にならないのはいうまでもないだろう。

 

こうした事例を積み重ねることで、今日のカウンセリングのスタイルが確立してきたといえる。従ってカウンセリングでは、環境を様々な形で制限することになる。限られた時間内、空間枠の中での自由なやり取りが重要視されるわけだが、もちろんすべてが自由というわけではない。身体接触、危険行為(子供とのプレイセラピーなどでは要注意)や、その他約束の順守などが制限される対象となる。しかし、それでも、恋愛的な感情には十分注意を払うことが必要となることはいうまでもない。

 

 

二、

 

カウンセリングでは、明確な方法論や具体的な対処法が明らかであれば、アドバイスすることも考えられるが、ほとんどの場合は、簡単にアドバイスできないようなことだからこそ、悩んでいることが多い。答えはもちろん、方法についても軽々には言えないし、その方法を自分で見つける過程に“同行”するのがカウンセリングといえるだろう。

 

では、どのようにしてその方法を見つけるのだろうか。そのためには日常の会話とは違った、特別な対話が必要となってくる。誰でも自分の発言や、自分の考えが批判されるのは怖いことだし、避けたいことでもある。自分のすべてを受け止めてくれて、秘密が守られる空間が必要である。そういう守られた空間で初めて、自分の心と深く関わることができるのではないだろうか。その守られた空間こそが「器」であり、カウンセラーもその一部なのである。

 

密閉された「器」の中で十分に秘密が守られ、カウンセラーという触媒(同行者)と共に、濃密な時間を繰り返し過ごすことによって、例えば“A”という素材が次第に“X”という全く新しい素材に変容するのを見守っていくような過程が、カウンセリングといえるだろうか。カウンセリングが錬金術になぞらえるのはそういったことが理由となっている。

 

 

三、

 

この物語では、冒頭で述べた「器」というモデルが、おぼろげながらも成立しているように見える。例えば“公園の東屋”という“同じ場所”、“雨の午前中”という“同じ時間帯”、“二人とも止めようと思えばいつでも止められる状況”などである。

 

繰り返される出会いと別れ、そして他愛のない語り合い(しかし近しい他者に語るようなことではない事を語ることが特別な事なのだが)、そういったものは、お互いの心に深く届くものである。臨床心理学ではこのような枠組みを「器」といって、クライアントが変容していくために必要な環境として重要視している。

 

通常のカウンセリングでは多くの場合、一週間に一度、同じ時間、同じ場所で行われるだろう。この出会いと別れを繰り返し、一か月、三か月、あるいは一年、二年と続けられる。この時間と空間とカウンセラーという「器」に支えられながら、クライアントは自由な視点をもって自分を見つめることになる。

 

同時に、制限された枠組みであることがとても重要で、枠組みを逸脱するような行為があれば、一旦はそれを問題として扱われるかもしれないが、繰り返されるような場合、カウンセリングは程なく終了することになるだろう。

 

このような枠組みは、例えばお祭りなどにも見て取れる。一年に一回の決められた期間は、その地域の人々にとっての特別な時間となる。ありふれた日常を離れ、特異な時間を過ごすことが許されるのだ。

 

普段行わないようなこと、例えば裸で町を練り歩いたり、大声を張り上げるなど、まさに非常識な行為が許されるのが特徴といえる。しかしそこにもルールは存在していて、守られない場合、その人はメンバーから外されてしまうだろう。

 

そして、この特異な時間が過ぎると、当たり前のようにいつもの日常に戻ることになる。私たちは非日常の“夢の世界”と“現実の世界”とを行ったり来たりするのである。祭りは人生に大きな“転機”や“禊”といった、普段なら決して体験できないような機会を我々に与えてくれる特別なイベントなのである。

 

夏祭りが今年は秋、来年は冬などという話は聞いたことがない。祭りは厳格にその仕様が決められているのであって、これもまたカウンセリングの枠組みと共通しているといえるのではないだろうか。

 

 

四、

 

さて、こういった特別な条件の中で続けられた二人の交流は、雪野には癒しを、孝雄には大人の世界のイメージ(将来のあるべき姿)を作り上げるキッカケとなったのではないだろうか。彼らは双方が語り手となり、同時に聴き手にもなることで、次第に心の内をお互いに語るようになっていく。

 

会話の特徴に注意を向けると、彼らは決して相手を批判していないことが分るだろう。時々感じる違和感を認めつつ、相手の気持ちを尊重しているように見える。この特別な状況の中で、恋愛というよりは“信頼”の感情を深めていったのではないだろうか。

 

しかし、冒頭に挙げたブロイアーの例を思い出せば、この感情がやがて恋愛へと発展することが容易に想像できる。孝雄にとってみれば、大人の女性ではあるけれども、傷つき自信を失っている姿を見れば、なんとかしてあげたいと思うだろう。また、雪野にとっては、教え子がいい方向へ進んでほしいと思うことは当然のことである。

 

いずれにしても、お互いを想う気持ちは、他の誰とも“違うもの”になっていったし、母性的、養育的な感情は、少なからず“愛情”を含んでいることは疑いようもないことだ。それが当人たちにも認識できない“疑似恋愛”へと進展した理由ではないかと思われる。

 

二人は、淡い恋(疑似恋愛)を通して、それぞれの課題を明確に意識し、その克服へと動き始める。雪野は帰省という選択を選び、孝雄はもう少し大人になったら“会いに行こう”と心に決めた。その軌跡を追うことで、実はこの物語を観ている私たちが抱えている葛藤や課題が、うっすらと見えてくるのではないかと感じている。

 

 


言の葉の庭 映画

 

 

では次回からの二回、若干手を加えるが、ほぼ当初の内容のレジュメを投稿する。