16、心理学で読み解くアニメの世界
ユング心理学で読むアニメの世界
「言の葉の庭」
2019年4月13日
第二回
はじめに
今回は、新海誠監督の中編アニメ「言の葉の庭」を取り上げます。同監督のヒット映画「君の名は。」はみなさまの記憶に新しいところですが、「言の葉の庭」は「君の名は。」に先立つこと3年、2013年に公開されました。キャッチコピーは「“愛(あい)”よりも昔、“孤悲(こい)”のものがたり。」です。
この作品では、年の離れた男女の淡い恋物語が淡々と描かれていますが、二人の関係を深層心理学的に観察してみると、“男女の愛”とは一味違った“関係”が見えてくるような気がします。古典教師の雪野百香里(ゆきのゆかり)、高校1年の秋月孝雄(あきづきたかお)、それぞれが抱える課題に対して、彼らはどのように関わっていくのでしょうか。二人の交流を丹念に観ていきたいと思います。
(以下、常体で記述します)
一、出会い
主人公の孝雄は15歳の高校1年生。雨が降るとよく午前中だけ、新宿御苑で靴のスケッチをして学校をさぼっている。彼は靴職人を目指しているが、将来に不安を感じている。
※)2か月前までは、地元の中学校へ通っていたのだろう。電車に乗ることなく、家から歩いて登校していたのではないか。しかし、高校に進学してから、電車通学をして、車内の嫌な雰囲気、例えばナフタリンの匂いなどに嫌悪感を抱いたりしている。環境の違いに少し戸惑いを感じているが“空”の匂いを届けてくれる雨の日には、少し気分を変えて、好きな靴のスケッチをして気分を紛らわせている。こういった行為は“自分の心を平穏に保つため(より良い自分でいるため)”に無意識的に行っているともいえる。孝雄にとっての高校生活は、それほどストレスを感じさせるものなのかもしれない。
高校進学後、2か月程が経過した雨の降る6月のある日、孝雄は新宿御苑へいつものスケッチに出かけた。すると東屋で午前中から缶ビールを飲んでいる若い女性が目に飛び込んでくる。“チョコレートとビールって…、でもこの人、どこかで…”孝雄はあまり関心を向けないようにしたが、彼女は違和感で満ち溢れていた。ふと、どこかで会ったような気がした。スケッチに集中しながらも、彼女の存在が気になり、孝雄はスケッチを書いたり消したりしているうちに、つい消しゴムを落としてしまう。ビールの女性はそれをすっと拾い上げ孝雄に渡してくれた。
雪野「どうぞ」
孝雄「あ~、すいません」
しばらくして
孝雄「あ~の、どこかでお会いしましたっけ?」
雪野「えっ、いえ」
孝雄「あっ、すいません、人違いです」
雪野「いえ」
短い会話の後、雪野は孝雄の服装から、自分が勤めている高校の生徒であることに気がつく。
雪野「会ってるかも…、“鳴る神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ”」
雪野は、短歌を呟いてその場を立ち去る。
**** 言の葉の庭 **** タイトル
二、孝雄の家族
孝雄の家。自由奔放な母親、我が道を行く年の離れた兄、家を支えるしっかり者の孝雄、三者三様の様子が描かれる。孝雄は平凡な日常をやり過ごし、雨が降る日を待っている。
三、関東の梅雨入り 二度目の出会い
再び雨の東屋で出会う。
雪野「こんにちは」
孝雄「…どうも」
孝雄はスケッチをしているが、雪野はビールを飲んでいる。
雪野「ねえ、学校はお休み?」
孝雄「会社は…、休みですか?」
雪野「…、またサボっちゃった」
孝雄「…で、朝から公園でビールを飲んでる…」
雪野「…えぇ」
孝雄「酒だけって、あんまり体によくないですよ、なにか食べないと…」
雪野「高校生が詳しいのね」
孝雄「あ~、俺じゃなくて、母が飲む人だから…」
雪野「あるよ、おつまみも…、食べる?」
雪野はチョコレートを両手に持って見せる。
孝雄「あ~」
雪野「あ~、今ヤバい女だって思ったでしょ」
孝雄「いや~」
雪野「いいの、どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」
孝雄「そうかな」
雪野「そうよ」
※)雪野の言葉は、いろいろなことを想像させる。現在を含めて、どのような人間関係があったのだろうか。
…しばらくして…
孝雄「じゃあ、そろそろ行きます」
雪野「これから学校?」
孝雄「さすがに、サボるのは雨の午前中だけにしようと決めているんです」
雪野「じゃ、また会うかもね、もしかしから、…雨が降ったら」
※)ここで雪野は、孝雄が自分の勤める学校の生徒であることを認識しつつも、自分がその学校の教師であることを、告げることが出来ないでいる。後段語られるが、自分が問題を抱えているために教師としての立場を前面に出せずにいる、あるいは“ペルソナとしての側面を強調できずにいる”ように見える。自分にとってのペルソナ(社会的側面)は教師に値しない、失格であると考えているかのよう。(…混乱、混沌、挫折、孤独…)
四、語り合いの積み重ね 濃密な時間
約束したわけでもないけれど、雨の降る午前中に二人は幾度となく出会った。出会いを重ねていくうちに、お互いの事を少しずつ語りあうことになる。
雪野「靴職人?」
孝雄は自分の夢や想いを語り始める。“できることならそれを仕事にしたい”と“初めて”他人に打ち明けた。
それぞれの日常が映し出され、二人の時間が過ぎてゆく。
孝雄のモノローグ:
①“夜、眠る前、朝、目を開く瞬間、気づけば雨を祈っている…
②晴れの日には、自分がひどく子供じみた場所にいるような気がして、ただ焦る、
③仕事とか社会とか、あの人が普段いるのであろう世界は、俺にはとても遠い、まるで、世界の秘密そのものみたいに、彼女は見える、はっきりとわかっていることは二つだけ、
④あの人にとって、15の俺はきっと、ただのガキだということ、そして、
⑤靴をつくることだけが俺を違う場所にと連れて行ってくれるはずだと、いうこと”
※)孝雄のモノローグから、彼の考えを覗いてみると…
①雨を祈っている…とは、靴作りへの想いであり、雪野に会いたいという想いでもある。その根底には早く大人になりたいという気持ちがあるのではないか。
②ただ焦る…とは、現実への不満や苛立ちであろう。ここでも早く大人になりたいという強い気持ちが感じられる。
③はじめて、少しだけ深く関わった“大人の女性”に対する戸惑いや、どう対処したらいいのか分らない不安が感じられる。雪野を通して社会を知ろうとするが、彼女はあまりに謎めいて(世界の秘密)、その世界の窓口になるにはふさわしくない。孝雄は軽く混乱しているよう。
④雪野は自分を子供だと思っている…、と思い込んでいる孝雄がいる。孝雄は自分が子供じみていることへの、罪悪感のようなものがあるのかもしれない。自分は子供、バカにされて当然、というような感覚か…。自分に対して、とても自虐的な感情を抱いているように感じられる。(自己同一化過程の真只中)
⑤靴作りだけが大人への切符なのだろうか…。今の孝雄にとっては“靴を作ること”と、大人世界への“扉”(入り口)としての“雪野”との関わりは、ほとんど同じ意味を持ち始めているのではないだろうか。
五、お弁当
雪野は駅のホームにいるが、今日も電車に乗ることができない。
孝雄「おはようございます、今日は来ないかと思ったけど…、よくクビになりませんよね、仕事」
雪野「…、すごい、靴のデザイン?」
孝雄「あァ、ちょっと」
雪野「だめ?」
孝雄「人に見せるもんじゃないから」
雪野「そうかなぁ」
孝雄「そうです、ほら、あっち座ってください」
今までは、孝雄が用意した弁当を二人でつまんでいたようだが、この日は雪野が初めて自作の弁当を持参した。孝雄は早速味見をしたが、あまり褒められたものではなかったようだ。(味覚障害についても、後段語られる)
*** うたた寝の夢 ***
…孝雄が小さい頃のイメージが投影される。お母さんの誕生日のプレゼント…、紫色(青?)のハイヒール(女性の靴)…
雪野「ねぇ、わたし、まだ大丈夫なのかな…」
孝雄がうたた寝している時に、ふっと呟く。
※)はじめて雪野の(不安な)“感情”が語られる。“まだ大丈夫”とは何を言っているのだろうか。“やり直せるか”という意味か?
六、雪野の部屋
雪野の部屋。夜、同僚で元恋人の“彼”と現在の状況や今後の事を話している。同僚は妻子持ち(不倫を匂わせる映像)で、雪野の話をとても良く聞いているように(いかにも優しそうに話す)振る舞っているが、雪野には彼の気持ちの真剣さ(深さ)が感じられない。“まるで壊れ物に触るよう”な距離感を感じている様子である。雪野は元カレに対して、不満に思っている。と同時に自分にたしても。
元恋人「良かったな、ほんとに、そのおばあちゃんに会えてさ…、誰って、ほら、あの、公園の…、その~、弁当を持ってきてくれるっていう人、お互いにいい気晴らしだろう…、まあ、ゆっくり休めよ…」
雪野「あれ以来、私、嘘ばっかりだ…」
※あれ以来、とは…?
(孝雄の事を“おばあちゃん”と彼に伝えたのかもしれない、嘘をつく自分に対する自己嫌悪を感じているのだろうか)
この時雪野は、孝雄へのプレゼント(少し高額な靴の本)をすでに用意している。
朝、タイマーの音、雨。
雪野はホームで電車を待っているが、乗ることが出来ない。
七、七月
雪野は、孝雄が欲しいと言っていた豪華な靴の本を、彼にプレゼントした。
雪野「ねぇ、これ、お礼」
孝雄「お礼?」
雪野「結局、君のお弁当ばっかりいただいちゃってるから、欲しいって言ってたでしょ、」
孝雄「こんなに高い本…」
※)理由は何であれ、雪野はプレゼントしたかったのではないだろうか。
孝雄「あのう、俺、今、靴を一足作っているんですけど…」
孝雄は雪野のために靴をつくりたいと思っていたのだろう。誰のための靴をつくっているかははっきり告げなかったが、雪野に採寸のための協力をお願いした。
雪野「あたしね、うまく歩けなくなっちゃったの、いつの間にか…」
孝雄「それって、仕事の事?」
雪野「いろいろ」
※)身体的接触が感情を高ぶらせ、語りを促したのかもしれない。雪野は初めて自分の問題を語ることが出来た(すべてではないが…)。彼女の心の内が語られる(秘密の共有と新しい事実の獲得)ことで、孝雄は雪野に徐々に惹かれていく。
孝雄「この人の事、まだ何も知らない、仕事も、年も、抱えた悩みも、名前さえも…、それなのに、どうしょうもなく、惹かれていく…」
ここまでのまとめ
ここでは、カウンセリングで重要とされる特別な関係が表現されているといえる。例えば“公園の東屋”という“同じ場所”、“雨の午前中”という“同じ時間”、二人とも止めようと思えばいつでも止められる状況、繰り返される出会いと別れ、そして他愛のない語り合い(しかし他者に語るようなことではない事を語ることが濃密といえる)といったものは、お互いの信頼が深められ、心の内を表現するための諸条件であり、臨床心理学においてとても重要視されているものだ。
こういった特別な条件の中で続けられた二人の交流は、雪野には癒しを与え、孝雄には大人の世界のイメージ(将来のあるべき姿)を作り上げようという気持ちを芽生えさせたのではないだろうか。このように、双方が語り手となり聴き手となる関わりが、次第に恋愛の感情を深めるきっかけとなっていったのかもしれない。
しかしこれは、交際や婚姻に向けた恋愛というよりは、二人が抱えるそれぞれの問題に対処するための“少し濃密な相談”といった要素が強いように思われる。なぜなら孝雄15歳、雪野27歳という設定からも分るように、二人が男女の関わりを育てていくことが難しい状況をあえて設定しているからだ。
次投稿へ続く