36、心理学で読み解くアニメの世界

             映画と深層心理学

              「千年女優

 

 

第一回

  

今回は、2018年12月8日に「心理学勉強会」で取り上げた劇場版長編アニメ映画「千年女優」についてまとめたレジュメ資料を投稿します。毎回アニメ作品を一本取り上げ、登場人物の感情や行動の観察から、「元型」ともいえるような基本的性質などを読み取り、その映画の持つ個性や心的テーマなどを見つめています。

 

物語のストーリーは、レジュメの中で分りやすくまとめてみましたので、映画をご覧になっていない方でも、概要は分るように書いているつもりです。最近ではネット上でも気軽に視聴できますので、是非本編をご覧になっていただきたいと思います。

 

以下の「はじめに」以降がレジュメの内容になりますが、「まとめ」の部分をほぼすべて書き直しています。深層心理学的視点から記述しているつもりですので、若干文学的考察の要素が強くなるかもしれませんが、よろしければ最後までお付き合いください。

 

さて、このレジュメはアニメ映画「千年女優」を基に、勉強会資料として制作しています。動画は各自でご確認ください。なお資料のまとめ方として以下の点にご注意ください。

 

1、レジュメは「はじめに」の後より「だ・である調(常体)」で記述します。

2、漢数字と共に小タイトルを入れて、場面を分りやすくします。

3、物語記載の後「まとめ」として、いくつかの心理学的トピックスなどを取り上げます。

4、※1)などは記述の最後に参考資料として掲載します。

5、(※)は筆者のコメントとして、場面直後に記述します。

 

 

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はじめに

 

今回の勉強会では、今敏監督の長編アニメーション「千年女優」を取り上げます。ある映像制作会社の社長がインタビューのために、往年の映画女優“藤原千代子”の住まいを訪ねるところからこの物語は始まります。社長には、かつて“千代子”と同じ撮影現場にいたという記憶があります。女優ではなく一人の人間としての“千代子”の側面を幾度となく見てきました。“千代子”に時別な思いを寄せていたのです。そして三十年ぶりとなる“千代子”との面会に際して、ある特別な贈り物を持参して来るのでした。

 

この物語では「鍵」が大きな役割を果たします。「鍵」にはどのような意味があるのでしょうか。ここでは「鍵」について様々な角度から検討してみたいと思います。また「社長」という登場人物は、この物語の中でどのような存在なのでしょうか。「社長」にしかできないこととは何なのでしょうか。

 

深層心理学的な視点を持って、それぞれのキーワードを様々な角度から検討してみると、この物語の思いがけない新たな側面が見えてくるかもしれません。

 

 

 

一、訪問

 

「約束したのよ、必ず会いに行くって…」

 

千代子がかつて主演した映画の数々を編集したフィルムアンソロジーを見ながら、映像制作会社スタジオロータスロータスは睡蓮・千代子が好きな花)の社長・立花が千代子の事を回想している。すると突然、少し大きめの地震(※この地震の意味は?)が起こる。…そして面会に出かける時間となる。

 

********オープニングタイトル挿入********

 

社長のセリフ「このたびは、銀映株式会社さんが、老朽化の著しい現撮影所を宿望(かねてからの念願)閉鎖することとなりました。今回の企画は、そのメモリアルとして創立70年の歴史をささえた大スター、藤原千代子さんの足跡を辿る映像を制作する運びとなり…」は、“この映画”のコンセプトそのものであり、この後、往年の映画スター「藤原千代子」へのインタビューが続くことになる。

 

千代子邸の家政婦さんとの会話の中で「特別な贈り物」が話題となり、やがて千代子が現れる。挨拶の後インタビューが始まり、立花が“睡蓮の花言葉は純心”であることを千代子に告げると、彼女は嬉しそうに頷く。

 

 

二、鍵

 

「ところで、立花さん」千代子の言葉に促され、立花はあの「鍵」を千代子に渡す。「一番大切なものを開ける鍵」そして「二度とこの手にできると…、思わなかった」そう言って千代子は喜んだ。すると再び地震(※この意味は?)が起こる。しかし千代子は動じず「そろそろ始めましょうか、地震までお祝いしてくれたみたいだし…」そう言って、千代子へのインタビューが始まる。

 

 

三の一、語りの始まり  誕生から幼少期、そして思春期へ

 

千代子は「地震」に縁があるという。「だってね、実はわたし、地震と一緒に生まれてきたのよ」そう言って、自らの生い立ちを話し始める。

 

関東大震災、跡取りを一番楽しみにしていた父が、この地震で亡くなってしまって、まるで代わりに私が生まれたみたい、けど、父が残してくれたお店のおかげで、母と二人、ありがたく生活させてもらいました」そう言うと、当時の厳しい時代(右寄り“戦争へ向かっていく時代”)について語りだしたが、実際は女の子らしく、少女雑誌などを見て、異性へのあこがれの気持を持っていたことなどを語る。

 

「その頃のことですか、銀映にスカウトされたのは…」立花の言葉は、千代子の記憶や語りを上手に引きだしている。

 

 

三の二、思春期の邂逅(かいこう) “巡り合い”

 

銀映の専務さんに気に入られた千代子。女優になる、ならないで、母や専務さんとのやりとりに嫌気がさしていく。そんな時、千代子は自宅近くの通学路で「鍵の君」と運命的に出会う(運命的衝突)。「鍵の君」を追って来た憲兵に嘘をついて、その場を立ち去らせ、近くで隠れていた「鍵の君」を介抱し、その後自宅の蔵で匿(かくま)うこととなる。「鍵の君」を追う「傷の男」は、いつも二人の邪魔をする(鍵の君と対を成す存在)。

 

 

三の三、二人の時間

 

千代子が生まれ育った実家の「蔵」での出来事。憲兵に追われていた絵描きの司書さん(「鍵の君」は後に「傷の男」から「絵描きの司書はん」と呼ばれる)を自宅の蔵で匿い、その夜、二人で大切な時間を過ごす。特に千代子にとっては、運命的な時間と言える。

 

 

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鍵の君:「僕の生まれた町はね、冬になると、遠くの果てまでが真っ白な雪に覆われる、もう、見渡す限りさ、その中にイーゼルを立てて、痛いほどの寒さを感じて、この絵を完成させたいんだ、あの大きくて真っ白な風景の中にいると、まるで遠い星の世界にいるような不思議な気持ちになるんだ」

 

千代子:「行ってみたい、あたしも」

鍵の君:「そうだね、平和が訪れたら、助けてもらったお礼に、必ず君を招待しよう」

 

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鍵の君:「満月は次の日から欠けてしまうけれど、14日目の月にはまだ明日がある、明日という希望が!」

 

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鍵の君:「僕はまた旅に出る」

千代子:「えっ、でもケガがまだ…」

鍵の君:「仲間が満州で戦っている、絵具と筆じゃ、役に立ちそうもないけどね」

 

『鍵』

 

鍵の君:「これかい、一番大切なものを開ける鍵さ」意味深な言葉を投げかける。

千代子:「一番大切なもの?」と、好奇心いっぱいの千代子。

鍵の君:「当ててごらん」

千代子:「分らないわ、でも、まだ教えないで、明日までの宿題にして、約束よ」

 

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四、逃走

 

翌日、初恋の話を聞きだそうとする同級生たち(女学生2名)にからかわれながら千代子が下校すると、血の付いた包帯とあの「鍵」を雪道で発見する。自宅周辺が騒然としている中、「鍵の君」が危機をすり抜け、無事逃亡したことが番頭より知らされる。すぐに「鍵の君」を追い、駅まで全力で疾走するが会うことはできない。千代子はもう一度「鍵の君」に会うことを強く決心する。

 

「あたし、行きます、必ず会いに行きます」 

入れ子映画:“君を慕いて”)※1

 

 

まとめ  “誕生から「鍵の君」と出会うまでの人生”

 

 

一、地震の意味

 

冒頭、物語は地震と共に始まる。※印として、(この意味は?)と二回ほど注釈を入れたので確認していただきたい。また、千代子が自分の出生の話の中でも「だってね、実はわたし、地震と一緒に生まれてきたのよ」と言っているが、作者は地震にどのような意味をもたせているのだろう。

 

地震はご存知のように、避けることのできない自然現象である。気象状況などと比べて、地震の予知はなかなか難しいのが現状である。阪神淡路、三陸沖の東日本大震災など、地震には悲惨なイメージが付いて回る。千代子は関東大震災直後の混乱した年に生まれた設定となっている。

 

実はこの後、重要な時に地震が起こっている。千代子が女優を引退する時と、立花によるインタビューの時(この映画の中の一日)である。「地震と共に生まれた」という表現がある場合、予測できるのは「地震と共に死ぬ」ということだろう。この映画は冒頭すぐに、地震と共に千代子が亡くなることを暗示している。

 

先にも触れたように地震は避けられない。巨大地震発生後、被災地が悲惨な状況となることは多くの人達に認識されている。地震は体験した者にとっては実に理不尽極まりないものだ。作者があえて地震と共に物語を始めたのも、地震を理不尽の象徴として捉え、千代子が人生という理不尽のなかで生きていく様を描こうとしたからなのかもしれない。これは戦中戦後(理不尽な時代)を生き抜いた、ある「女の一生」の物語なのである。

 

 

二、登場人物

 

これまでのストーリーの中に出てくる主要登場人物について、ここでそのパーソナリティを概観しておきたい。

 

1、藤原千代子

 

この物語の主人公で、彼女の生涯を追うことになる。作者である今敏は男性であるので、千代子は今のアニマと言えるかもしれない。今の中にある女性性であったり、今に足りない要素、あるいは今が求めている要素の擬人化と言えるだろうか。

 

ここでは千代子の誕生から思春期までが描かれていて、鍵の君との出会いと別れが、その後の千代子にとって重要なエピソードであることが示されている。千代子は何か特筆するような才能がある訳でもなく、女優を目指して日々努力をしていた訳でもない。どこにでもいるような、ありふれた一少女としての性格付けがなされている。

 

鍵の君との出会い、そして彼の大切な鍵を拾うことで千代子の運命は大きく動き始める。ちゃんとした答えをもらえず、別れてしまった鍵の君にもう一度会って、その鍵を渡し「一番大切なもの」を教えてもらいたいと思ったのだろうか。駅のホームで、走り去る列車に向かって「あたし、行きます、必ず会いに行きます」と湧き上がる決意を叫ぶ。少女時代に別れを告げ、新しいステージへと移行する瞬間である。

 

 2、鍵の君

 

表情が一切描かれない特別な存在としてこの物語に登場している。彼は政府に敵対する危険な思想の持主として憲兵に追われているのだが、どのような罪状なのかは詳しくは描かれていない。しかし彼が千代子の生涯にはかり知れないほどの影響を与えたのはご存知のとおりだ。

 

千代子と鍵の君との関係は、今まで何度となく取り上げてきたコンステレーションという言葉で表現できるように思われる。つまり、準備された心にのみ準備された出会いが訪れるということである。鍵に興味を示さなければ、また鍵の君との再会を熱望しなければこの物語は始まらない。この出会いによって千代子の人生は大きく動き始めるのである。

 

ところで、今にとって鍵の君はどのような存在なのであろうか。主人公千代子の人生を大きく変える程の影響を与えることができるのは作者だけだろう。すなわち今は鍵の君に自分を投影し、千代子を動かしているともいえるだろうか。鍵の君は今自身であり、男性性の象徴つまりアニムスということができるかもしない。

 

アニマ、アニムスはお互いを補完するような存在と考えられるので、千代子と鍵に君との関係がどのようになっていくのかは、この物語の核心であり、最後の方で改めて検討したいと思う。

 

 3、傷の男

 

傷の男も印象深い。彼は鍵の君を追っている。いわゆる公安のような役回りだが、その理由は判然としない。ただ、鍵の君を追っているのである。そのことによって、千代子も彼に狙われ一時拘束されたりもするが(入れ子映画の中で)、最後には思いがけない行動をとる。

 

傷の男と鍵の君とはいつもセットで現れ、同じパターンを繰り返す。そのことによって千代子の想いはますます強くなっていく。理不尽な扱われ方に苦しめられることによって、むしろそれを跳ね返すように千代子の想いは強くなり、鍛え上げられていったと考えることができるのではないだろうか。

 

鍵の君を今敏の投影として見た場合、鍵の君を執拗に追いかける傷の男は、今自身を妨害する謎の第三者(様々な障害)と考えることも出来るだろう。千代子にとっては自分の分身とも言える鍵の君との統合を果たすためにも、それらの障害から千代子は鍵の君を守らなければならない。だが今はまだ千代子にその力はない。

 

 4、スタジオロータス社長 立花

 

最後に、スタジオロータスの社長立花についてなのだが、この物語は彼が引退した千代子に「鍵」を渡すために企画したといってもいいだろう。今まで取材に応じてこなかった千代子だが「鍵」という言葉によって立花の取材を受けることになる。そこで二人は懐かしい出来事に思いを巡らせる。

 

さて、立花については最後の方でもう一度取り上げる。と言うのも、立花という人物がこの映画のキーパーソンであると考えているので、全体を概観した後に彼の役割などを考察したいと思う。

 

 

三、感情の一貫性

 

登場人物を概観する中で、概ね今までのまとめをしてきたつもりである。下記の「※1)入れ子映画」で書いたように、今後の展開は千代子の心情が“入れ子映画”の中で強調され、その時代(または千代子の人生)に合った主演映画が次々に登場する。

 

入れ子映画の主人公の気持ちを借りることで、千代子の心情がより濃密に、また同世代女性の普遍的な感情の様相が表されているように感じられる。ただこの複雑な映像表現が初見では理解されにくい傾向があるようで、勉強会でも、“みんなと観ることができてより理解が深まった、一人で観ていたらよく分らなかったかもしれない”という方もおられた。

 

もしこのような難しさを感じられたのであれば、全編を通じて“千代子の気持ちが一貫していること”に意識を向けていただけると、千代子、そして各入れ子映画の主人公の気持ちが繋がっていることが理解されると思う。映像表現に惑わされることなく、千代子の『声・セリフ』を聴き続けて欲しい。

 

 

 

※1)入れ子映画:本編映画の中で千代子が主演したとされる劇中映画のこと。物語の中で物語を演ずる時、それを劇中劇などと言うが、この映画の中に登場する劇中劇映画は、千代子の心を表現するためにつくられた架空の映画であり、劇中劇というよりも千代子の心情を表す入れ子構造的要素が強いと思われる。主演映画(劇中劇映画)は、千代子の気持ちを色濃く表現するために用いられていることから、ここでは「入れ子映画」と表記する。

また、この入れ子映画は日本映画の往年の名作を参考に作られている。「千年女優」が今敏の日本映画へのオマージュと言われる由縁である。

 

 

おまけ:鍵の君のセリフに「満月は次の日から欠けてしまうけれど、14日目の月にはまだ明日がある、明日という希望が!」というものがある。筆者は放送大学の面接授業のために山梨県甲府へ幾度となく出かけたことがある。甲府駅から徒歩数分のところに「14番目の月」というバーがあるのだが、甲府へ訪問するといつもそのバーへ一人で出かけたものだ。地元の酒蔵が経営しているらしいのだが、甲府のワインを提供しているということで、実はワイン醸造の授業の中で担当教授からそのお店を紹介していただいた。

 

今回このレジュメを投稿するにあたり“あの店はどうなっているだろうか?”と気になった。と言うのも、みなさんご存知のとおり、緊急事態宣言による飲食店の時短営業の影響を心配しているからだ。なんとか持ちこたえて、宣言解除後には、ぜひまた飲みに行きたいものである。ちなみに店名の「14番目の月」というのは松任谷由実の歌のタイトルだそうだ。

 

では、また次回。