53、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

              「妄想代理人

 

 

第十三回 最終回。

 

一、夢の世界

 

「彼の町だよ、彼にとって一番の場所、彼が彼でいられる場所、月ちゃんにとっても」と言うマロミの言葉に対して、月子は「えっ」と返す。

 

紙芝居世界のさかな屋のおやじが「ここには少年バットなんて来やしないよ」と月子に告げると、この世界の住人たちは月子をじっと見つめる。

 

「僕が守ってあげる、僕が、月ちゃんだけを守ってあげる」

 

その頃、現実世界では人々が突如現れた黒い物体に飲み込まれ始める。蝶野晴美の夫、川津、真壁など次々と犠牲になっていく。その様子を見ていた馬庭は、無線機で月子へ語りかける。「鷺月子、どこにいる、答えろ月子!」

 

すると「ショッポだ」という猪狩の言葉が聞こえてくる。驚いた馬庭は「係長!」と声を上げる。

 

「はいよ、ショッポ」月子はタバコ屋の婆さんに飴をもらう。

 

マイルドセブンじゃなかった?」

「うん? あ~、なんでもいいんだ…、どうだっていいじゃないか、どうだってな」二人は歩みを進める。

 

懐かしさに溢れた猪狩の内的世界を二人は歩く。するとどこからか「係長、聞こえますか、係長!」という声が聞こえてくる。猪狩が周りを眺めると、そこに街頭テレビに興じる一群を見つける。

 

「そこにいますね、係長、月子も一緒ですね」

「馬庭」

お願いです、月子を帰してください、マロミにすがれなくなった人々の心が、少年バットを無限大に増長させてしまった、やつを倒すには、どうしても鷺月子が必要なんです、聞いてますか係長、マロミと少年バットは同じなんです、その大元は月子なんです。もともとマロミは月子の飼い犬だったんだ、しかし月子は自らの過失で、あの日まち…」

 

猪狩は街頭テレビに石を投げる。

「何が少年バットだ、そんなものこの町にはいやしねえ」

すると住人たちは猪狩を褒めたたえる。しかし彼は住人の中に妻美佐江の姿を見つける。

 

 

二、別れ

 

美佐江は難しい手術を受けている。

 

猪狩は居酒屋でビールを飲む。「いるはずがない、あいつが、いるはずはないんだ…、おい、ビールもう一杯」猪狩が言うと、月子は「あんまり、飲まない方がいいかもよ」と諭す。

 

ビールを持ってきた店員が、ビールと一緒に煮物の小鉢を置く。

「サービス、お仕事、大変でしょ、猪狩さんの好物、私が作ったの」

「美佐江…!」

 

他の客に呼ばれた店員は「は~い、只今」と言って歩き始めるが、急に苦しみだしてその場にうずくまる。猪狩は「美佐江!」と叫びながら、彼女の元に駆け寄り肩を押さえる。

 

大丈夫、ちょっと動悸がしただけだから、お帰りは、遅くなりますか?」

猪狩は驚き後ずさりする。

 

「どうやって入ってきたのさ」

「主人を帰して」

「ここはあんたのいる所じゃないよ、月ちゃん、お父さんを連れて逃げて、早く」

 

月子は猪狩の腕を掴みその場から立ち去ろうとする。しかし美佐江は「だめよ、あなた!」と言って引き留めようとするが、マロミによって居酒屋が閉じられる。

 

二人は町を走り抜ける。猪狩は「なぜだ、なぜ、なぜ縋りついてくる」と心で問いかけながら走り続けるが、やがて足元を取られその場に倒れ込む。すると「大丈夫、お父さん」と言って、月子が話しかけてくる。この時月子は、浴衣を着た子供の姿となってマロミを連れている。

 

二人は打ち上げ花火を見つめる。

「そうだ、俺は娘が欲しかったんだ、おやじとソリが合わなかったからな、息子ができて同じように嫌われるのはツライ、おかしいか、俺の言ってること」

 

「ううん、そんなことないわ」

 

『この子はきっと女の子…、ごめんなさい、赤ちゃんごめんなさい…』

『現実を受け入れよう、お前がそばにいればそれでいい』

『いってらしゃい』

『私さえいなければ、こんな苦しい生活…』

『二度とそんなことを言うな、お前はただ逃げようとしているだけだ、その場しのぎの救いなど、まやかしに過ぎん、どんなに苦しくても、目を背けず一緒に乗り越えて行くんだ』

 

「ありがとう」

「美佐江」

「私、もうすぐ死ぬわ、その前に、お別れが言いたかった、わたしが良く知っているあなたに」

「まて、分ってる、良く分ってるんだ」

 

「あたし、幸せでした」

「美佐江!」

 

美佐江の心肺が停止する。

 

月子が「お父さん」と問いかけると、猪狩は「だれがお前の父さんだ」と答える。

 

「全部ウソなんだよ、こんなものは! どいつもこいつも、ふざけやがって!」

「やめなよ、ここはあんたの世界だよ、あんたの世界が無くなっちゃうんだよ」

「俺の居場所なんざ、とっくにねえんだよ、その居場所が無いって現実こそが、俺の本当の居場所なんだ!」

 

 

三、現実世界

 

紙芝居の世界を破壊した猪狩は現実の世界に戻ってくる。しかしその惨状に二人は驚く。月子はさらに逃げようと走り出すが、その前に馬庭が現れる。

 

「すべては月子だったんです、少年バットは、月子が十年前に生み出した、妄想の産物だったんです、それが現代によみがえり、ここまで事態を大きくした」

「月ちゃんは悪くないよ、悪いのはあいつだ、全部少年バットが悪いんだ」

 

「よせマロミ、お前を死なせたのは月子なんだぞ!」

 

「十年前、小学生だった君は、通り魔の襲われた、飼い犬のマロミの散歩中に、ローラーブレードを履き、金属バットを持った少年、警察の捜査もむなしく、犯人は捕まらなかった、それもそのはず、そんな通り魔は最初っから存在しなかった、君は自分の不注意から、マロミの手綱を離し、マロミは通りかかった車にはねられて死んだ、その事を君は父上に言えなかった、叱られるのが怖かったんだ、だから架空の通り魔をでっち上げたんだ、自分も被害者であると装うために」

 

涙を浮かべ月子は答える。

「違う、違うもん、本当に叩かれたんだもん、だからあたしは…」

 

「父上はすべてお見通しだったよ、父上は君のために、犯人探しに奔走した、しかしそれは、君を厳しく躾けるあまり、内向的な子供にしてしまったという自責からだ、つまりこれには、君への償いと、真実を話してほしいと言う願いが込められているんだ」

 

「馬庭!後ろ!」

 

馬庭はレーダーマンとなって背後に迫る少年バットに迫るが、一瞬で叩かれてしまう。巨大化した黒い物体となった少年バットの本体が、猪狩と月子に襲いかかるが、巨大化したマロミがそれを阻止する。「月ちゃん、逃げて!」

 

 

四、月子逃げる

 

黒い物体とマロミのピンク色とが一体となり、世界を飲み込んでいく。妙子、優一、マリアが飲み込まれていく。猪狩と月子は地下鉄の改札を越えてさらに線路を走って逃げる。

 

月子はふと手元のマロミを落としてしまう。すると、マロミは現実の犬となり、逃げてきた道を逆戻りして走って行く。「マロミ、だめ、マロミ、だめ、だめ、もう、行っちゃダメ!」月子は追いつきマロミを抱き上げる。しかし二人ともその物体に飲み込まれる。

 

漂うように、月子は幻影を見る。

 

 

五、10年前

 

「ほら、もう行くよ、マロミ」

 

10年前のある夏の日、月子はマロミを散歩させていたが、急にお腹が痛くなりその場に屈みこんでしまう。月子はマロミの手綱をつい手放し、マロミはそのすきに勢いよく道路に飛び出してしまった。と、そこへ車が通りかかりマロミは引かれてしまう。

 

月子は慌ててマロミのそばに駆け寄るが、マロミは死んでしまった。そこへ現在の月子が現れ「お父さんが、苦労してもらってきてくれたのにね…、お父さん、怖い?」と子供の月子に尋ねる。

 

「あいつのせいだよ、あいつが来たんだもん」そう言う子供の頃の月子の影は少年バットの姿をしている。大人の月子はハッとしてマロミを抱きかかえ「マロミ、ごめんね、ごめんなさい」と言って涙を流す。

 

すると「さよなら」と言って少年バットの姿が消えていく。

 

そして夢から覚めた月子の周りから、一瞬にして少年バットの幻影が消失していく。一方猪狩は、地下鉄の階段を上り地上に出る。彼は周りの惨状を見て「まるで戦後じゃねえか」と呟く。

 

 

六、エピローグ

 

人々は荒れた世界の復興に力を注いでいる。月子はOLとして、猪狩は建築現場の警備員として、川津は引き続き記者として働いている。しかし馬庭は頭を白くして複雑な計算問題を地面に書きなぐっている。やがて彼は解を導いてハッとする。

 

 

第十三話 まとめ

 

一、夢からの脱出

 

第十一話の最後の方で、猪狩は犬飼と共に懐かしい昔をイメージさせる紙芝居世界(夢の世界)に入る。冒頭マロミが言うように、ここは彼(猪狩)の町である。マロミはさらに「月ちゃんにとっても」と付け加える。居心地のいい夢の世界は猪狩だけでなく、月子にとっても留まりたくなる空間なのだろう。二人はお互いの記憶をたどりながら、夢の世界に漂うことになる。

 

そんな夢の世界の虜になった猪狩に対して馬庭は声をかけるが、猪狩はその世界から抜け出すことができない。その後、命が尽きようとしている美佐江が何度となく現れることで、猪狩の心は激しく動きだす。美佐江との別離によって、彼は「現実の世界からは逃れることができない」ことを自覚するのである。

 

 

二、月子の幼少体験

 

少年バットが消滅していく場面は印象深い。ホッとする反面、実は精神的に結構重いものがある。というのも、幼少期の月子がマロミを死なせてしまった後「あいつのせいだよ、あいつが来たんだもん」と責任転嫁を口にする場面があるのだが、もちろんご記憶のことと思う。

 

幼少期の月子にとって辛い体験であり、今敏は極めてリアルに追体験をさせている。さらに、その様子を現在の月子が俯瞰するという構図で、今の月子にかつての自身の経験を直視させているのである。

 

すなわち、かつて自分がとった行動を直視し、その時できなかった人生の選択を見つめ直すことで、現在の自分がもう一度その時の人生を「生き直す」ということを促しているのである。幼少期の月子を「無意識」あるいは「エス」などと考えれば、大人の月子は「メタ認知」とでも言えるだろう。

 

様々な苦難に直面した時、人は自分の生き方に悩むものだ。かつて成功した方略が現在、そして将来も使えるわけではないだろう。月子はかつて成功した方略、すなわち被害者を装うために少年バットを創り上げたのだが、この方略はこの物語の中では、他者の心に憑依し傷つけるものとして描かれている。

 

現在、そして未来を生きる月子にとって、かつての方略から今後使用可能な新しい考えと共に、有効な方略を身に付ける必要がある。旧態依然の対応では行き詰まり、やがて破たんすることになる。かつての自分から新しい自分へと絶えずバージョンアップしなくてはならないのである。

 

 

三、ゲシュタルト療法

 

ところで、先に挙げたバージョンアップだが、どのような方法があるだろうか。当然、様々な方法が考えられるが、月子が体験したような方法はゲシュタルト療法と呼ばれているものと考えることができるだろう。

 

かつては心と体はそれぞれに別の存在と考えられていた。そういった考えを二元論というが、当然相反する考え方もある。すなわち、心と体(身体)は分かつことができないものとする考えである。

 

ゲシュタルト」とは「形、あるいは全体性」を意味するドイツ語で、心と体は一つのものであり、心の変調は心身に影響を与え、また逆に心身の変調は心のあり方にも大きな影響を与えるというものである。

 

現代の感覚でいえば当然の考え方かもしれないが、様々な実証的な検討の末、このような考え方が多くのカウンセラーに影響を与えるようになっている。同時期には他にロジャーズの来談者中心療法、エリスの論理療法などがあり、心理臨床の場では現在でも大きな影響を与えている。

 

ゲシュタルト心理学は、第二次世界大戦後、継承するドイツの心理学者がナチスから逃れてアメリカに亡命する中で、次第にその勢力を失っていった。しかしその療法としての技術は、再決断療法に取り入れられたりしながら発展し、気づきを得るテクニックとして、多くの臨床家によって応用されている。

 

ゲシュタルト療法については、いずれこの勉強会でいくつかのビデオなどを用いつつ取り上げてみたいと思っている。どちらかというと集団療法の時に、その効果が発揮されるようである。詳しくはその時にお話ししたい。

 

 

以上、全十三話を一緒に見てきた。各話の特徴や注意すべき点など、思う所を書いてきたつもりなのだがいかがだっただろう。次回は十四番目の投稿として全体を見回し、思いつくままに話してみたいと思うので、もう少しおつき合い願いたい。

 

では今回はこのあたりで。

 

 


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