8、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

           「色づく世界の明日から」

 

第八話 ほころびのカケラ

 

一、コハクの実験

 

コハクのモノローグ:初めて魔法を使った時のことは、忘れられない、こんなに素敵なものを自分が使えるってことが嬉しくて、世界中に叫びたいぐらいの、ありがとうって気持ち、あの日から、たった一つの事を願い続けてきた、私は魔法で、みんなを幸せにしたい

 

「この子はどんな色してるの」

 

部室のパソコンを前にメンバーが集まり、撮影された写真を見ている。ヒトミはアサギが撮影した写真に写っているペンギンの色について尋ねると「この子は白と黒ですよ、ヒトミちゃんが見ているのと同じです」と答える。

 

撮影場所として行ってみたいところを、それぞれが紙に書き出している中、ヒトミは場所を決められないでいる。

 

帰り道、コハクはヒトミを誘って路面電車に乗る。

「この前、ヒトミの話を聞いてから、ずっと考えてたの、ヒトミが自分にかけたかもしれない、無意識の魔法について」

 

「魔法?」

「あたしはね、色が見えないなんて、ヒトミが自分に魔法をかけたせいじゃないかって思ってるんだ」

 

「私が、自分で?そんなことするわけ…」

「分ってるよ、だから無意識だって言ったでしょ、大事なのは時々、色が見えるってこと、つまり、魔法がほころび始めているかもしれない」

 

電停でコハクは、何かこのあたりに心当たりはないかとヒトミに尋ねるが、ヒトミは特に無いと答える。するとコハクは「あの日、ユイトさんとは何かあった? 言い辛いのは分るけど、ヒトミの魔法を解くための大事な手がかりかもしれない、詳しく教えて!」と直球の質問をぶつける。

 

ヒトミはしばし躊躇するが、あの時の出来事をコハクに話す。詳細を聞いたコハクは「やっぱこれ、もっと詳しい実験が必要だね」と返す。「実験って?」ヒトミが不思議に思っていると「ユイトさんよ」とコハクが答える。

 

放課後コハクはユイトを呼び出し、ヒトミの色に関する実験に協力してくれるよう依頼する。「じゃ~、30分だけな」とユイト。はじめに二人の距離を接近させ、ユイトの影響を調べるが変化は起こらない。次に屋上でお互いの名前を呼び合って、ヒトミの感情と色との関係を調べるが、ここでも変化は起こらない。

 

図書館に場所を移し、ユイトタブレットを見ると、ヒトミはそこに色のある絵が見えるという。しかし似た感じの書籍の絵を見ても、そこに色は見えない。他の絵本を探しにコハクがその場を離れると、ヒトミは一冊の絵本を手に取る。

 

「どうかしたの」

「あぁ、絵本見てて、思い出したことがあって、小さいころ、一つだけ、色がついて、見えてた絵本があったんです、どんな本だったか、覚えてはいないんですが、…そういえば、この間の個展、きれいな人でしたよね…」

「えっ」

 

二人の様子を遠くから眺めていたコハクは、魔法で本を動かしテーブルから落下させる。慌てた二人が本を拾おうとして、テーブルの下に入ったところで、今度は椅子を動かし、二人がそこから出られないようにする。しばらくしてコハクが二人のところに戻って話しかける。

 

「ヒトミ、ドキドキした?何か今までと違った?」

「怒るよ」

 

 

二、時間魔法

 

夜、コハクが魔法の勉強をしていると「どう?」と言って、お母さんがお茶を持ってやってくる。「未来のあたしが、魔法でヒトミをこっちの時間に送ったんだもん、ヒトミが戻りたくなった時は、あたしが責任を持って、返してあげたい」そう言うと、コハクは練習していた時間魔法を試してみる。

 

テーブル下から枯れたバラの一輪挿しを取り出し、魔法をかける。すると、みるみるうちに咲はじめのつぼみの状態に戻る。

 

「ほ~ら」

「できるようになったの?」

「小さな時間魔法だけ」

「えっ、すごいじゃない、コハク、このバラ、おばちゃんが好きなの、喜ぶわよ、きっと」

 

放課後の部活は、ヒトミの希望で日常風景を撮影することになる。学校へ行く道とか、今見ている景色が撮りたいとヒトミはその理由をみんなに告げる。猫を撮っているアサギとクルミをチグサがからかう。

 

するとアサギが「相変わらずが続くのって、辛くないですか?」とクルミに尋ねる。「辛いんだ、アサギは」「いいんです、今のままで、告白とかって、気持ちの押しつけみたいな気がしてしまって」クルミは、そう言うアサギの頭をなでる。

 

写真に撮りながら、ヒトミは今の時間を自分の心に焼き付けようとしている。コハクが「ヒトミはいつか、帰りたいの、60年後に」と尋ねるが、ヒトミには言葉が見当たらない。

 

ショウはユイトに手伝ってもらいながら、猫の親子の写真を撮っているが、うまくいかない。そこへアサギとクルミがやってくるが、彼らはヒトミの話をしている。

 

「色が見えないって話、聞いたときはすごいびっくりして、ショックだった、言えずに辛かったんじゃないかって、あいつには笑っててほしい、せっかく仲良くなったんだから」というショウの言葉に、後からやってきたチグサもそうだよねと呟く。

 

「ねェねェ、みんな~」コハクが写真撮影用に、猫たちが集まる魔法をかけている。みんなと猫たちが一緒に映るように、ヒトミがシャッターを切る。

 

部室に戻り、ショウがヒトミの撮った写真についていろいろ話をする。写真の仕上がりは、自分にどう見えるのか、どうしたいかで変わってくること、続けてヒトミの写真には人物が多くなり、光を感じられる作品が多くなったことなどを伝える。

 

「変わったのかな、私」

「俺は今の方が好きだよ、楽しそうに見える、すごく」ためらった後、ショウはヒトミに呼び掛ける。

 

「ヒトミ」

「何ですか」

 

ショウは、ヒトミが60年後の世界に帰ることを気にかけている。

「何でもない、何か俺に手伝えることがあったらいつでも言って」

「ありがとございます」

 

アサギのデジカメが故障したと言って、チグサたちが部室にやってくる。ショウが確認するがその場では原因が分らない。アサギがショックを受けているところで、コハクが「ちょっと試してみていい」と言って、カメラを手に取る。コハクは覚えたばかりの時間魔法を使う。すると、壊れたはずのカメラに電源が入り使えるようになる。

 

暗くなってコハクが家に着くと、玄関に置いてあった一輪挿しのバラが枯れている。驚いたコハクを「お帰り、あらっ、もう枯れちゃったのね」と言っておばあちゃんが出迎える。「私の魔法失敗したの?」「私にもわからないわ」

 

おばあちゃんは自信を失ったコハクに「未来のあなたは、どうしてヒトミが帰る方法を手紙に書かなかったと思う、今のコハクなら、自分たちで解決できるって分ってて、あえて書かなかったんじゃないかしら、きっと、大丈夫よ」と告げる。

 

壊れたカメラが気になるコハクは、急ぎ足でアサギとの約束の場所へ走る。アサギのカメラをチェックするとやはり壊れている。「ごめんね、力不足で」そう言うとカメラをアサギに返す。コハクは一人家路につく。

 

翌日の部活で、ヒトミの写真をみんなが眺めている。立派な魔法写真美術部員であることを認められヒトミは喜んでいる。ヒトミは、コハクと一緒に写真の整理をしているとき「みんなと一緒なら、いつかモノクロじゃない写真も、撮れるかな」と独り言のように呟く。

 

「あっ」コハクはハッとする。

「コハクに言われてから、ずっと考えてたの、未来に帰りたいのかどうか、…ここにいたいな」

 

コハクのモノローグ:あたしが、魔法でみんなを幸せにしたい、でも、魔法で人を幸せにするのは、本当に難しい

 

 

第八話 まとめ

 

第八話では大きく二つの話題が語られている。一つは“自分にかけた魔法”であり、もう一つは“時間魔法(時を遡ること)”である。共に魔法が話題となっているが、ここではコハクの「ヒトミが自分に魔法をかけたせいじゃないかって思ってるんだ」というセリフの持つ意味について考えてみたい。なお、時間魔法については、第十三話のまとめで“時間を遡ることの意味”について触れることにする。

 

“自分にかけた魔法”という言葉から、どのようなことを連想するだろうか。第五話の「五、仲間」のところで、ヒトミはこんなことを言っている。

 

「ちゃんと顔を合わせて、ちゃんと話をしなきゃだめ、魔法と一緒、思い込みが肝心」(ヒトミのモノローグ④)

 

“思い込みが肝心”つまり本来の自分には出来ないようなこと(もちろん出来ることも含めてではあるが)、苦手なこと、望まないことであっても、何かのためにしなくてはならない時、無理やりそれが“出来る”と思い込むこと、それが肝心であるとヒトミは意識しているのである。

 

“望まないことであっても”というところが、実はとても重い。誰でもやりたいことばかりが出来るわけではない。望まないことであっても、思い込んでやらなければならない時がある。

 

“自分にかけた魔法”という言葉は、この物語の核心的テーマの一つであると思う。第八話も含めて、これ以降の数話でこのあたりの心理的トピックスを取り上げるのだが、事前に記しておいた方がいいと思われることについて、ここで紹介しておきたい。

 

心理療法の一つに再決断療法というものがある。これは、いわゆる心的障害、あるいはトラウマ的な葛藤というものは、幼少期に自らが自己決定したもので、現在の苦悩の源はその決定にあると考え、その決定をもう一度見直すことで、直面する困難を乗り越えることができるとする理論と実践体系である。

 

この再決断療法という考え方は、ヒトミの色が見えない理由とその克服の経緯をかなり分りやすく説明してくれるので、療法の成り立ちなども含めてここで少し記しておきたい。

 

フロイトは心のモデルとして意識、無意識、その中間領域として前意識という三つの領域を考えた。意識は、“コントロールする私”という認識に立つ領域であり、はっきりはしないが、思い出そうとすると確かにそういったことがあったな、という程度の領域を前意識とした。そして、思い出すことのできない程、心の奥の深い領域にあるものを無意識と考えた。

 

思い出すと都合の悪いもの、あるいは避けたいものを、人は無意識の中に封印しようとする。しかしそういった不都合な体験の持つエネルギーが大きいため(衝撃の大きさのために)、その記憶に関連した身体部位にしわ寄せが起き、そこに何らかの症状が現れる時、フロイトはそれを神経症と理解した。従って症状の解消には、その記憶を意識に上げて、何らかの折り合いをつけるという作業が必要となる。つまり心的再体験が必要であり、こういった考えを局所論という。

 

しかしフロイトは、その理論に当てはまらない症例に度々接することとなり、自説の再検討を迫られた。紆余曲折はあるものの、晩年彼は構造論にたどり着く。すなわち、従来の無意識、前意識に当たるものをエス(イド)、意識している私を自我、私の行動を検閲、管理しているものを超自我とした。

 

意識の中にも無意識的な要素があることを認め、それらを自我(意識)がコントロールすることとなるが、困難な状況などに遭遇すると、自我を越えた超自我からの検閲、指示によってそれを乗り越えることができるとする。超自我とは、主に幼少期の親からの教育や、無意識的な指示などによるものと考えられている。

 

ところで、交流分析(TA=Transactional Analysis)という理論がある。1950年代に、アメリカの精神科医エリック・バーンによって提唱された心理学的パーソナリティ理論である。これは、批判的な親(CP = Critical Parent)、養育的な親(NP = Nurturing Parent)、大人(A = Adult)、自由な子供(FC = Free Child)、順応的な子供(AC = Adapted Child)という5つの自我機能の観察によって、その人のパーソナリティ(自我状態)を知ることができ、それらを適切に調整することで、より快適なコミュニケーション能力が獲得できるとする生涯発達理論である。

 

例えば、親からの厳しいしつけを受けて育つと、親の厳しい側面“批判的な親(CP)”が優位に立ち、自分にも他人にも厳しさを求める性質が強くなり、逆に“養育的な親(NP)”が優位に立つと、自分にも他人にも甘い態度をとりやすくなったりするという。自分を管理、監督する親の考えを直接的に取り込むことから、その基礎的概念は超自我に由来するとされる。

 

“大人(A)”は合理的な私であり、主体的に自分を見つめ、私全体をコントロールしている存在である。いわゆる意識している私であり、自我(エゴ)に由来するとされる。

 

“自由な子供(FC)”が活性化している人は、幼少の頃、自由な日常を過ごせていたのかもしれないし、“順応的な子供(AC)”が活性化している人は、親の様子をうかがいながらも、うまく合わせることで乗り切ってきたと言えるかもしれない。“子供”と表現されているところから、前意識的、無意識的な領域も含めて、成長過程で自分が取り込んだ“なんとなく私を構成しているものたち”と理解され、英語ではIt(イット・それ)、ドイツ語でエス(イド)と呼ばれている。これが“子供”という考え方の基本となっている。

 

こういったことから、交流分析の根底にはフロイトの構造論が色濃く反映されていることが分る。ではこの理論が、どのように役立つのであろうか。

 

先に示されたとおり、私たちの心はP、A、Cによって構成されているとする。そう考えると、合理的に見えるAの判断に対して、無意識的に獲得されたPが絶えず「それは正しいことか、やるべきことなのか」といってAに疑問を投げかけるという構図が分るだろう。その結果、自分の行動を検閲(親などの価値観)によって抑制(自粛)することとなる。

 

このように、一見すると自分の合理的な判断だと思っていたことが、いつまでも親などの重要人物の影響下にあることが分るだろう。どのような状況でも、Pによる検閲によってある一定の反応(同じような行動パターン)をしてしまうことを、芝居の脚本に見立てて、“人生脚本”と呼び、この脚本を自分のために書き換えようとすることが、再決断療法の目的といえるだろう。

 

その目的のために有効とされたのが、ゲシュタルト心理療法で用いられるエンプティチェアワークや集団グループワークなどである。意識の変革を導き出す上でとても重要な役割を果たす。そのあたりも含めて、次回、再決断療法についてもう少し詳しく述べてみたい。

 

 

 


Irozuku Sekai no Ashita Kara Capitulo 8 Sub Español