38、心理学で読み解くアニメの世界

             映画と深層心理学

              「千年女優

 

 

第三回

 

 

八、立花の記憶

 

立花は「取材は、また日を改めてでも…」と千代子に申し出るが、千代子は「いいえ、明日になれば、思い出せなくなってしまうわ」と厳しい顔で答える。(なぜ、今語ろうとしているのか?)

 

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「戦後の混乱は、みんな生きるのに精一杯、食べ物も着るものも無い、いい写真を創ろうって希望がみんなの支え、本当に忙しいだけの毎日だった、でも、何時のときにだって私には…(鍵)、いつか会えるって信じてた、世の中はすっかり変わって、手掛かり一つ無かったけど、もしかしたら、あの人が私の映画を見てくれるかもしれない」と千代子。

 

「昭和30年前後は、最も忙しい時期でしたねぇ」と立花。そんな会話の中で、立花がかつて千代子と近いところ(大滝監督の組)にいたことが判明する。 

入れ子映画“真夏の水平線”)

 

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立花と大滝、そして千代子との物語が交差する。立花が大滝の組に入った時、立花は大滝から女優の扱い方を指南される。その話を聞いた千代子は「まんまとその手に乗っちゃったのねぇ、あたし…」と納得する。

入れ子映画“女の庭”)

 

 

九、結婚

 

大滝が千代子を口説く場面。だが、ここで「鍵」が反応する。大滝は「鍵」が文字通り千代子の心に「鍵」をかけていると理解する。

 

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千代子が軽く変装して町を歩く。ある男が千代子にぶつかると彼女はバランスを崩し道に膝を付く。ハッとして見上げるが「鍵の君」ではなかった。(衝突は「鍵の君」との出会いのきっかけのはず・鍵の君は今どこに?)

入れ子映画“東京のマドンナ”)

 

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「ただいまぁ」家に帰ると母親が見合い話(現実的な話題)を始める。しばらくすると母がいつの間にか詠子に入れ替わって、映画の中の世界となる。戸棚のガラスに映る老婆(あやかし)の姿に千代子はおびえる。「カット!」の掛け声。

 

一旦休憩となるが、千代子は大切な「鍵」を無くしたことに気がつく。スタッフも巻き込んで「鍵」の捜索が始まるが見つからない。しかしこの時、若き立花は詠子が「鍵」を持っているのを目撃していた。「鍵」は結局見つからなかった。

 

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「何のための鍵なのか?」の問いに、場面は変わって学園物の映画のワンシーンとなる。千代子は「それはね、先生の大切な人からの預かり物なの」と答えた。すると「その人はどんな人、どんな顔?」の問いに千代子の顔が曇る。この時、千代子は「鍵の君」がどんな人だったのかを思い出すことができなくなっていた。思い出せなくなっていたのだ。現実の千代子も「鍵の君」の事を思い出せなくなっている。

入れ子映画“学舎の春”)

 

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千代子の結婚生活。「鍵」を無くしたことで、千代子の心にぽっかりと穴が開いてしまった。その穴を埋めるように千代子は大滝と結婚する。背景のテレビに「アポロ」と思われるロケット打ち上げの場面が映る。ありふれた日常生活を過ごす千代子。すると大滝の本棚から崩れ落ちる書籍の中に、あの「鍵」を発見する。そこへ大滝が登場し、険悪なムードに…。

 

 

十、謀(はかりごと)

 

詠子「あ~あ、ばれちまった」

千代子「詠子さん、どういうこと?」

 

満州でデビュー映画撮影の時、詠子が仕組んだ八卦見の一件を大滝に知られてしまったので、大滝の要求に従わざるを得なかったことを詠子は告白する。つまり八卦見の占いは詠子が仕組んだことで「鍵の君」がどこにいるかなど誰も知らなかった。千代子を妬んで、追い出すためのからくりだったというのだ。

 

そのことを大滝に知られてしまったので、大滝が要求する通りに従わざるを得なかったと詠子は言う。その要求とは…、千代子を手に入れることであり、そのために詠子は「鍵」を大滝へ渡すこととなった。

 

ところで、ここでは詠子がなぜ八卦見の一件を計画したのかについて語られる。千代子の「あたしが詠子さんに何をしたっていうです?」という問いに対して、詠子は「うらやましかったんだよ、あんたの若さがさ…」と答えている。ここでは詠子にとって、千代子がシャドーとなっているように感じられるのだがいかがだろうか。すなわち、詠子には持ち合わせていないもの(千代子の若さ)が、その嫉妬(嫌悪)の対象になっているのである。

 

さて、いつの間にか映画撮影の休憩中(打ち合わせ中)という事になっていて、若き立花が千代子へのお客がいることを知らせに来るところで、次の場面へと移行する。

 

 

十一、傷の男

 

千代子が現れると、そこには「傷の男」がいる。「あんたが、藤原千代子さんだね」千代子はおびえた様子ながらも「今度は何のつもりです」と気丈に答える。すると、男は謝罪の言葉を述べながら千代子に手紙を渡す。あの司書(鍵の君)からの物である。

 

千代子は雪原で絵を描く「鍵の君」の姿を思い描いて「約束の場所」へと疾走する。(娘時代の駅へ疾走するイメージと重なる)千代子の現実の人生では「北海道への失踪(事件)」と言われている。

 

<その場に残った若き立花は「傷の男」から、あの司書はすでに死んでいるという事実を聞かされる>

 

 

十二、北へ

 

千代子は走る。最初はタクシーで駅に向かうがすぐに車は止まる。渋滞する道路を、そして町中を走って駅へ、さらに列車に乗って北の大地へ…。しかし列車は立ち往生する。その列車から出て山を下りる途中、あやかしの幻影が現れる。老婆は言う「定めからは逃れられぬ、恋の炎に身を焼く定め」と。

 

山を下り幹線道路へたどり着くと、そこに立花扮する「トラック大将」が現れ、千代子を乗せて一路北海道へ。トンネルを抜けると怪獣ギガラが暴れているが、科学者となった千代子は「あの人が待ってるわ!」と言って吹雪の雪原へ向かう。(背後に建物を解体する音が聞こえる)

入れ子映画“トラック大将”、“ギガラ”)

 

宇宙飛行士となった千代子は雪原を進む。するとそこにはイーゼルに掛けられた一枚の絵が…、その絵の中に「鍵の君」がいる。しかしこちらを振り返ると手を振り消えてしまう。「待ってください!」と泣き崩れる千代子。だが次の瞬間、顔を上げ決意を表明する。「あたし行きます!どこまでも会いに!」

 

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“遊星Z”の撮影現場。その撮影中に大きな地震が起こる。(千代子の人生の大きな節目で地震は起こる)撮影所時代の若き立花の行動で、千代子は間一髪のところで助けられる。その時千代子は「鍵」を無くし、立花がその「鍵」を拾い上げ、預かることとなった。

 

撮影用の宇宙ヘルメットにあやかしの幻影が現れる。「われはそなたが憎い、そして愛おしくてたまらんのじゃ」その言葉に千代子はおびえ、その場から立ち去る。(あやかしとは何者、その正体は?) 

入れ子映画“遊星Z”)

 

 

十三、最後の語り

 

地震による事故の後、千代子は完全に引退し、ひっそりと静かに暮らしていた。立花からの「それはなぜか?」の問いに、あの肖像画を見ながら「鍵の君」に老いた姿を見られるのが嫌だったと答えた(建物を解体する音がここでも聞こえてくる)。

 

千代子は再び具合が悪くなる。すると、今までにない大きな地震が起こる。立花は慌てながらも千代子をかばい、支える。「あなたはいつでも助けてくださるのね」そう言うと千代子は気を失う。肖像画を落とし額のガラスにひびが走る。(象徴的場面)

 

 

 

まとめ

 

一、人生の絶頂から奈落の底へ

 

成熟期を迎えた千代子は大滝と結婚するが、その結婚はそもそも大滝によって仕組まれたものであった。束の間の幸せを感じながらも、そのことを知った千代子は、同じ頃「傷の男」から受け取った「鍵の君」の手紙に触発され、北海道(あこがれの地)へと向かい一時期失踪してしまう。

 

現実が嫌になり、忘れかけていた「鍵の君」との統合のために北海道(彼の故郷・約束の地)へと向かったのかもしれない。その後、一旦は映画の世界に返り咲くが、地震の事故の後、完全に姿を消すこととなる。

 

千代子の落胆はどれほどのものであっただろうか。幸せが大滝によって“創られたもの”であったことを知った千代子は、また「鍵の君」を追いかける人生を生きていくことになる。老婆の言葉「未来永劫、恋の炎に身を焼く定め」が思い起こされる。

 

 

二、隠遁生活 人生の午後・晩年

 

千代子は大滝や詠子たちの生きていた欺瞞に満ちた社会ではなく、「鍵の君」が生きた「まっすぐで、裏切らない生き方」を志向していたと言えるのではないだろうか。そう考えると、千代子が隠居生活を続けてきたことが理解できなくもない。

 

しかし、千代子が隠遁生活に入ったきっかけは「『鍵の君』に老いた姿を見られるのが嫌だった」というように、自らの「老い」がきっかけだった。当然ながら「鍵の君」も年老いているだろう。千代子が、もう鍵の君と会うことはできないのではないかと思うようになるのも自然な事である。

 

「老い」がキッカケではあったかもしれないが、本当のところは誰にも分らない。この物語は往年の映画女優原節子をモデルにしているというのは有名な話だが、原節子がなぜ引退後一切表舞台に戻らなかったかは誰にも分らないし、当の本人も多くは語らなかったようだ。永遠の謎なのである。

 

一説によると、映画の中で創られた上品なイメージが、本人の意識と大きく乖離していたとも伝えられる。彼女を良く知る人の話によると、たばこやビールが好きで、時には賭け事にも興じるなど、気風の良い気性だったという証言も残る。また映画からテレビの時代に移行する時期に40代を迎え、映画出演の機会が減ったことで、映画女優としての引き際を悟ったとも言われている。2015年9月、鎌倉の自宅にて95歳で他界している。

 

さて話を戻そう。千代子の隠遁生活はどのようなものだったのだろうか。「鍵の君」の幻影に悩まされていたのだろうか。いずれにしても月日が流れ、隠遁生活から30年後、立花からインタビューの依頼が入る。それも「鍵」を渡したいと言うのである。「鍵の君ともう一度正面から向き合いたい」千代子はそう思ったことだろう。インタビューを受けることにしたのは、自分にとってそれが必要なことだと感じたからに違いない。

 

 

三、鍵

 

このレジュメの冒頭で“「鍵」について様々な角度から検討してみたい”と記述した。勉強会では鍵をテーマとした二つの作品を紹介したので、ここでも少し触れておく。

 

1、星新一    鍵(「妄想銀行」の中の一話・P139)

 

妄想銀行 (新潮文庫)

妄想銀行 (新潮文庫)

  • 作者:新一, 星
  • 発売日: 1978/04/03
  • メディア: 文庫
 

 

2、谷崎純一郎  鍵

 

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

鍵・瘋癲老人日記 (新潮文庫)

 

 

 

双方ともに鍵の持つ閉鎖性、排他性が強調されていると思われる。星氏の作品では、秘密が守られるとき、極めてプライベートなイベントが起こるのだが、しかしそのイベントはもはや必要の無いものであったというものである。

 

谷崎氏の作品は、(暗黙の了解によって)秘密をあえて晒すことで、願望を意図的にコントロールしようとするのだが、最後にはその結果に飲み込まれてしまうというものである。何度となく映画になっている。

 

「鍵」がまさに鍵となっている作品なのであるが、星氏の作品の方が「千年女優」と共通するところが多いような気がする。短い作品なので是非読んでみて欲しい。

 

また、「私」、「うさぎ」、「橋」、「鍵」という言葉を用いて短い文章をつくる心理テストなども取り上げた。

 

とても有名な心理テストなので、ご存知の方も多いと思うが、読み解き方を最後に示すので、先ずは自分にしっくりくる文章を考えてみて欲しい。(注1)

 

いずれにしても、鍵の持つ意味は決して一つではないので、ご自身でその意味を考えてもらえれば大変うれしく思う。

 

 

四、スタジオロータス社長 立花

 

第一回目の人物考察で「全体を概観した後に彼の役割などを考察したい」と書いたので、ここでもう一度立花について取り上げる。

 

この物語は千代子が主人公であるのだが、立花がこの物語のキッカケを作ったという点で、彼がもう一人の主人公と言えるだろう。つまり立花の意思によって“千代子の世界が開かれる”ことになる。

 

千代子にとって鍵が大切な存在であるように、立花にとっても大切な鍵がある。千代子こそがその鍵だったと言えるのではないだろうか。千代子との思い出と、その軌跡を共に辿ることは、立花の人生を整理するためにも必要な事だったに違いない。この物語は立花にとっての「癒し」に他ならないと言えるだろう。

 

そういう意味では、憧れ、尊敬の対象であった千代子に、あの「鍵」を渡すことは、立花にとってはどうしても取り組まなければならない仕事だったと言える。自分にしかできない事であるし、それは重要な事だと感じていたに違いない。お互いに必要な出来事が、必然的に起こったと言えるのではないだろうか。これもまた、コンステレーションということだろう。

 

さてここで、立花が千代子に対してどのような態度、あるいは関係性を保っているのかについて話しておきたい。インタビューしているのだから当然と言えば当然なのだが、立花はどうしたら千代子がより深く話してくれるのかに神経を集中している。時には一緒に映画の場面を再現するなど、千代子がすべてを語りつくせるよう「全力で聴いている」のである。

 

カウンセリングにおけるカウンセラーの役割と、インタビューにおけるインタビューアーの役割はとても近い関係にあるだろう。しかしカウンセリングが治療的な関わりを持つのに対して、インタビューは語りを引き出す点に重点が置かれているように思われる。いずれにしても、一義的には言葉や想いを引き出す事が目的といえる。

 

高齢者に対するカウンセリング的手法に、回想法というものがある。これは人生の末期を迎えるにあたって、人生の歴史を語ってもらい、良い人生だったと実感してもらうことに主眼が置かれた精神療法の一種である。この映画の中ではまさに回想法が行われていると言えるだろう。

 

長時間話した後、息を切らせ倒れ込んだ千代子は、立花の「取材は、また日を改めてでも…」という提案に「いいえ、明日になれば、思い出せなくなってしまうわ」と言って、無理をして話を続けようとする。それはあたかも、もう明日が来ない事を知っているかのようである。語りつくしたいという気持ちが切々と伝わってくる。

 

立花の「全力で聴く」という姿勢に支えられ、千代子は自分の想いを“すべて語り尽す”ことができた。そして立花と共に、千代子にも深い「癒し」が訪れ、もう一度この「鍵」と共に生きるためのエネルギーが満たされたのだと信じたい。

 

では次回、編集後記を投稿する。

 

 

注1)心理テストを読むポイント:私は私のこと、うさぎは恋人のこと、橋は人生のこと、鍵は愛のことと読み替えると興味深い文章ができたりする。この心理テストでは「鍵」は「愛」と等しいものとして捉えられているようだ。