25、心理学で読み解くアニメの世界
ユング心理学で読むアニメの世界
STAGE 05 Dear my friend
<プロローグ>
先生:「来月より南極に行くことになった玉木マリさんと小淵沢報瀬さんです、前へ」
キマリ:「えっと、まさかこんなことになるなんて、まだ信じられないんですけど、頑張って行ってきます」
シラセ:「行ってきます」
~めぐっちゃんの回想~
「もたもたしているからだよ、分った分った」
大人の人に褒めてもらったことで…、
“なんか嬉しかった、おねえちゃんになったような気がした”
「マリちゃん、明日遊んでもいいよ」
一、妬み
日本の出港地である晴海ふ頭(?)らしきところで、早速二代目砕氷艦しらせ改め『七神屋ペンギン饅頭号』について、四人のリポート撮影が始まる。シラセはあがり症で滑舌が悪い。
ペンギン饅頭号の乗船規定によると、持ち込める荷物は一人あたり体重を含めて100キロまでとなっているらしい。
キマリは自宅であれこれと荷物をパックしている。なかなか思うように荷物を絞り込めないでいるが、そんな時、部屋の片隅に昔めぐっちゃんから借りたテレビゲームを見つける。
キマリはゲーム機を持って、めぐっちゃんの家を訪ねる。動作確認のつもりがついついゲームに熱中するキマリ。
「で、東京は?」
「だいたいうまくいったよ」
「南極は、うまくリポートできたのか?」
「南極? あぁ、シラセちゃん? うん、シラセちゃんの出番はまだだから」
「あいつも変わってるよな」
「だよねー、ホントは気が強いんだか弱いんだか、良く分らないって、ヒナタちゃんとも話してて」
「あー、バイトの子だっけ」
「うん、でもリポートはユヅキちゃんが完璧にやってくれたから」
「北海道の子だっけ」
「うん」
「まー、無理するなよ、失敗したらそれだけ後悔が大きいから」
「うん」
熱中しているゲーム機の電源コードにめぐっちゃんが足を引っかけて、コンセントが抜けてしまう。
帰宅したキマリやシラセ、ヒナタ、ユズキが思い思いに旅の準備をしている。
翌日、学校で壮行会を開いてもらい、放課後キマリはめぐっちゃんと茂林寺の境内で話をしている。
「なんか転校していくみたいだったよね」
「他にやりようないだろ」
「でも、こんな大々的になるなんて思ってもなかったもん、シラセちゃんが南極行くって言ってた時は、みんなバカにしてたし」
「行くって思ってなかったからな、それにバカにしている奴は変わらずいるぞ」
「そうなんだ、…ここにも三か月以上来れないんだな~」
「寂しい?」
「ううん、どんな気持ちになるんだろうって思ってた」
「まあ、あんまりそういうところは見せない方がいいかもな、調子に乗ってるって思ってる奴も沢山いるみたいだし」
「見せるも何も、明日出発だよ」
「それはそうだけど、でも、結構ひどいこと言われているからさ」
「そうなの?」
「やっかみっていうの?…、資金集めるためにコンビニで万引きしているだとか、歌舞伎町で男の人と遊びまくっていたとか」
「なにそれ!」
「だから、調子に乗ってるって思われてるんだよ」
「調子になんか」
「お前さ」
「何」
「本当に、このまま行って大丈夫か、帰ってきたらもっとひどいことになってる…」そこへ、シラセとヒナタが現れる。
二、話せる相手
今しがためぐっちゃんが話していた“ひどい噂”を知らされてシラセが激怒する。
シラセ:「絶対犯人見つける!」
ヒナタ:「だから明日出発だぞ」
シラセ:「こんなとんでもない言いがかりつけられて、黙ってられるわけないでしょ!」
ヒナタ:「だからここで波風立ててもしょうがないだろ、今まで陰口言われても無視してきたんだろ、それでいいんだよ」
シラセ:「それとは別、これは完全な嘘よ、新宿で男性と遊びまくってたなんて」
ヒナタ:「新宿行ったのは本当だろ」
シラセ:「遊んでなんかいない!」
ヒナタ:「それ、証明できるのかよ?」
シラセ:「おっ…、おかしいわ、そんなの」
ヒナタ:「人には悪意があるんだ、悪意に悪意で向き合うな、胸を張れ」
(ヒナタの名言4)
キマリ:「名言!」
ヒナタ:「もちろん、それに今ここにいるのは一人じゃないだろ」
キマリ:「どういうこと」
ヒナタ:「話せる相手がいるってことだ」
モヤモヤが消えないシラセのために、キマリはカラオケに行こうと提案し、四人はカラオケ店へ向かう。ひとしきり歌い、すっきりしたキマリはめぐっちゃんと家路につく。
「ほら、南極行くって決めてからめぐっちゃんとあんまり遊べなかったし、めぐっちゃんはせいせいしてたかもだけど」
「そんなこと…、まぁ、してたといえばしてたか」
「でしょ、でも、わたしは結構そうでもなかった、わたし、ずーっと思ってた、遠くに行きたいとか、ここじゃイヤだとか、自分がキライだとか、でも、それって、なんでなんだろうって、たぶんめぐっちゃんなんだよ」
「えっ」
「わたし、いつももたもたして、めぐっちゃんに面倒見てもらって、どうしようどうしようってくっついてまわって」
「そうだったか」
「そうだよ、それがイヤで、変えたいって、ずーっと思ってたんだと思う、めぐっちゃんにくっついてるんじゃなくって、ダメだな~じゃなくって、ゲームの相手になれるぐらいに」
「あぁ」
「だから、がんばってくる」
キマリは手を差し出すとめぐっちゃんと握手を交わす。
「じゃ~、行ってきます」
出発前日の夜、キマリの家ではご馳走が用意されている。
三、お前のいない世界
朝、家族との時間を過ごし、キマリは家を後にする。と、その先にめぐっちゃんが待っている。
「めぐっちゃん」
「悪い、出発の朝に」
「どうしたの」
「絶交しに来た」
「えっ」
「絶交だって言ったんだ」
「なんで、どういうこと」
「お前さ、まだ気づいてないのか、南極と新宿まで行ったって、なんで噂になったんだと思う、お前誰かに話したか」
「ううん」
「最初に南極に会った時に、なんで百万円持ってるって、上級生が知ってた、母親がなんで南極行くって、お前が言うより先に知ってた」
「なんで?」
「あたし以外にないだろ! とっとと気づいて、お前が激怒して、そうなるんだろうなって思ってた、いつだろうって」
「なんで?」
「でも、お前も南極達も、全然バカみたいに気づかないで」
「なんで!」
「知らねえよ! 最初にお前が南極に行くっていったとき、なんでこんなに腹が立つんだって思った、昔からキマリが何かするときは、わたしに絶対相談してたのにって」
「うそ、待って」
「嫌な思いをさせて悪かった、あやまる、ごめんなさい、昨日、キマリに言われて、やっと気づいた、くっついて歩いているのは、キマリじゃなくって、わたしなんだって、キマリに頼られて、相談されて、あきれて、面倒を見るようなふりして、偉そうな態度とって、そうしてないと、何もなかったんだよ、わたしには、自分に何も無かったから、キマリにも何も持たせたくなかったんだ、ダメなのは、キマリじゃない、わたしだ、高校じゃないところに向かわなければならないのは、わたしなのよ!………じゃぁな」
「めぐっちゃん! 一緒に、行く?」
「どこに?」
「南極!」
「バカ言うなよ、やっと一歩踏み出そうとしてるんだぞ、お前のいない世界に」
≪私たちは踏み出す、今まで頼りにしていたものが、何もない世界に、右に行けば何があるのか、家はどっちの方かもわからない世界に、明日どこにいるのか、明後日どこを進んでいるか、想像できない世界に、それでも踏み出す≫
キマリは泣きながらめぐっちゃんの背中に抱きつく。
「絶交無効」
走り去るキマリの背中をめぐっちゃんは見つめる。
≪澱んだ水が溜まっている、それが一気に流れていくのが好きだった、決壊し、解放され、走りだす、澱みの中で蓄えた力が爆発して、すべてが…動き出す≫
STAGE 05 まとめ
一、めぐっちゃん
STAGE 05ではキマリの親友、めぐっちゃんにフォーカスを当てている。めぐっちゃんは物語の始まりから、クールで大人っぽくて、世間のことを良く分っている、キマリの良き相談相手として登場している。
めぐっちゃんはこの回でキマリに絶交を申し入れる。その兆候は今までの話の中に時々表現されていたのだろうが、それを判断することはなかなか難しい。全編視聴した後で、改めて見てみると「こういうところがそうなのかな」と感じられるところもあるが、あえて分らないように表現してあると考えた方が、より現実的だろう。内に隠された感情は、本当に良く分らないものである。
ここでは、そのめぐっちゃんの葛藤について、セリフなどを読み解きながらいろいろ検討してみたい。
二、幼馴染
この回は冒頭、キマリとシラセが南極へ行くことを学校の集会で紹介された後、めぐっちゃんの回想とモノローグから始まっている。
“なんか嬉しかった、おねえちゃんになったような気がした”
小さいころの自分に影響を与えた人は、両親や兄弟姉妹などの家族である場合が多いだろう。しかし、この物語のめぐっちゃんに関しては、家族との関わりが映像や出来事などで表現されることはない。あえて表現を避けているようにすら感じられる。そうすることで、キマリとの関わりが一層強調されるのではないだろうか。
大人の人から認められ、褒められたことで、“おねちゃんになったような気がした”ことが語られるが、この出来事がキマリとめぐっちゃんとの関係性を端的に表しているだろう。つまり、家族の影響によって形成されたというよりも、キマリとの交流によってめぐっちゃんの現在の立ち位置が確立されたと考えられる。
三、劣等コンプレックス
めぐっちゃんが言う“おねえちゃんになったような気がした”とはどのような状態なのだろうか。
このブログの「7」の投稿で、ピンポン効果について線を書いて上と下の関係を説明した。覚えておいでだろうか。つまりめぐっちゃんは、自分をキマリより上の位置に置いたのであろう。それが“おねえちゃんになったような気がした”理由ではないだろうか。
そうすることで、その場所に居心地の良さを感じられるかもしれないが、しかし同時に、おねえちゃんでいるために、めぐっちゃんはその場所を守り続けなければならないという強迫観念の状態に陥ったといえるだろう。
キマリが南極へ行くことを自分に相談も無く決めて、自分との時間よりもシラセとの時間を優先し、あれよあれよという間に、本当に南極行きの切符を手にしたことで、めぐっちゃんは何とも言えない疎外感や劣等感を覚えたのではないだろうか。
“昔からキマリが何かするときは、わたしに絶対相談してた”のに『私に何も言わず勝手に自由な世界へ旅立とうとしているなんて許せない』というような感情なのだろう。先ほどの線の上に位置していたはずの自分が下に追いやられ、キマリが線の上へと昇っていくことが耐えられないのだ。
線の上にいるのか下にいるのかは、実はとても主観的なものだ。めぐっちゃんは上にいた自分が下に追いやられた、あるいはキマリに先を越されたと感じているのかもしれないが、必ずしもそうではないことは、お分かりいただけるだろう。めぐっちゃんは、事実を自分の都合(視点)で歪めているに過ぎない。
親友や近しい人が新しい世界を求めて自分から離れていくとき、めぐっちゃんのように嫉妬する人もいるが、しかし純粋にそのことがうれしく、応援したくなるような人たちも多く存在する。その代表的な人物がキマリだといえよう。キマリは人の悪意に鈍感で、頑張る人を応援したくなる人物として描かれている。だからシラセを応援しているのだ(シラセに悪意があるわけではないが)。
そのことがまた、めぐっちゃんをイライラさせている要因の一つかもしれない。キマリは妬みを感じる『陰』の要素(ネガティブは感情)を持ち合わせていない、あるいは極めて鈍感なのである。めぐっちゃんは自分の内面にある『陰』に対して、キマリが持つ無意識的な『陽』(ポジティブな感情)に嫉妬し、自分にはその『陽』がないことに対して“何もなかったんだ”と感じているのではないだろうか。
自分の位置の違いに気づくよりも、むしろ自分は何も(陽の要素)持っていないことに気づく方が辛いかもしれない。仕返しして立ち位置を逆転させようとしても『武器』が無いのだから太刀打ちできないのである。めぐっちゃんはそのことに気づいてしまったのだ。究極の劣等感といえるかもしれない。
誰しも劣等感を味わいたくはない。しかし多くの人達は、それぞれの立ち位置が厳然たる事実として存在していることを承知している。些細なことで、人からその位置を貶められたら腹が立つし、自分が優位に立てば気分が良くなるものだ。
しかしピンポン効果でお話ししたように、比較するのではなく、他者を自分と同じ一個人として尊重すること、そしてあるがままの自分を評価無しに認識することで、劣等感情に押しつぶされないような自分に変容することができるかもしれない。
劣等感情をコントロールすることは難しい、というより感情をコントロールすることはできないと考えた方がいいだろう。例えば『この人を愛しなさい』といわれて愛することができるだろうか。中にはできる人もいるかもしれないが、多くの人にとってそれは至難の業である。
感情よりもっと簡単に変えられるのは思考である。苦しい感情の源はその思考のクセにあると考えるのが認知行動療法であるが、このあたりのことは認知行動療法を取り上げることがあれば、改めてそこで触れてみたい。
四、禁止令決断
一般に、幼少期の生活環境、つまり両親や友達などからの強い影響で、小さい自分が生きるためには「こういうことはしてはいけないんだ」と強く感じ、またそのように生きることを選択したとき、その子は幼児決断または禁止令決断をしたと考えられる。これもブログで投稿しているので、そのあたりを参考にしてもらいたい。
めぐっちゃんの場合、前にも述べたように両親との関係が描かれていないため、キマリとの関係が影響を与えていると考えた方がいいだろう。劣等コンプレックスで触れためぐっちゃんの劣等感から、どのような禁止令決断が考えられるか検討してみたい。
禁止令決断のカテゴリーに人間関係(Attachment)に関する禁止令がある。その中で当てはまりそうなものに『子供であるな(Don’t be a child)』という禁止令がある。『子供であるな』とは、子供っぽくないように振る舞うことを決断することである。
つまり本来の子供っぽさ、例えば甘えたり、自由だったり、わがままだったり、自分がしたいことをするのが子供らしさなのだろうが、逆に親の顔色をうかがったり、自分のことはそっちのけで相手の面倒を見たり、過剰に相手に合わせたりすることは、子供らしさを押し殺して振る舞っているといえる。
めぐっちゃんは、キマリに対して『子供であるな』から『妹であるな』すなわち“キマリの面倒を見る姉であること”を決断したといえるのではないだろうか。しかしこの幼児決断はいつか破たんする。当然のようにキマリはやがて自立するのである。
キマリに悪意はないが、取り残された者には苦痛が残る。良かれと思ってお世話をしてきたのに、一言もないまま突然離れていくのだから、めぐっちゃんのこころには疎外感と捨てられたという感情が残るだろう。だから“最初にお前が南極に行くって言ったとき、なんでこんなに腹が立つんだって思った”というセリフにつながったのだろう。
幸いめぐっちゃんは、自分の辛さの理由に気づくことができた。だから自分の意志でそれを乗り越えようとした。つまり“姉をやめる”という再決断である。『絶交』はそのための、めぐっちゃんなりの儀式であったと思われるが、肝心なのは本来の年齢にふさわしい子供であること、かつて失ってしまった子供である感覚を取り戻すことであろう。
“かつて自分は、手間のかかるキマリのお世話をするお姉さんであることが気持ち良かった。しかしそれと引き換えに、自分の子供らしさを楽しむ時間を手放してしまった。だけど今、キマリが自立していくとき、自分も自立しなければならないことに気づいた。だから、今まで無かったことにしてきた自分の子供らしさや、自分のわがままや、自分にとっての楽しみを見つける人生を選ぶ、キマリのお世話をする人生ではなく、自分の人生を生きる再決断をする”ということなのだろう。
五、成長と別れのテーマ
仲良しで、いつも一緒にいる友達同士は、思春期青年期の過程でこのような精神的な別れを経験することがあるだろう。いわゆる“青春の痛み”というものだ。
このような題材を持つ表現作品、例えば文芸作品や映画などいろいろあるだろうが、ここではアニメ作品を検討しているので『リズと青い鳥』という長編アニメ映画を紹介する。
京都アニメーションが制作している“響け!ユーフォニアム”という一連の作品シリーズからのスピンオフとして公開されている。
高校を卒業するにあたり、進路をめぐって仲の良い友達同士が同じ道を進んで行こうか、それともそれぞれの道を歩むべきか、お互いの時間をもっと共有したい気持ちと、それぞれが自分の道に進むことへの葛藤がゆったりとした時間の中で、丁寧に表現されている良作である。
今回は作品名のみお伝えしておくが、いずれこのブログでも紹介したいと考えている。いつになるか分らないが、気長に待っていただけるとありがたい。
さて、今回は「よりもい」の中でもめぐっちゃんの一回限りのエピソードということで、少し特別なものとなっていたように思う。それだけに、より深くテーマを掘り下げてみた。みなさんはどのような感想を持たれたであろうか。
六、ヒナタの名言その四
“悪意に悪意で向き合うな、胸を張れ”
筆者はかつて、苦手な人に対して“ミラーリング”などと言って、その人のイヤな特徴をそっくり真似て、その人との関わりを減少させる行為をしていたことがある。何となくイヤな面が強調されると、見ている方はイヤな気分になるものだ。
悪意(こちらが一方的に悪意と感じた)に、悪意(明確な悪意)で向き合っていたといえるかもしれない。今ではそのようなことはしなくてもよい“大人”になったが、自戒の念を込めてここに過去の自分をご披露しておく。
ではまた次回。