49、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

              「妄想代理人

 

 

第九話 ETC

 

ある昼下がり、団地に住む三人のご近所さんと、新たに引っ越してきた新入り鴨原美栄子(カモハラミエコ)とが、最近話題の少年バット事件についての噂話に熱中している。

 

一、IQ:C棟のツルタさんの息子さんのエピソード

 

受験に必死だったツルタさんの息子は、模試当日くしゃみが止まらず、くしゃみをする度に、覚えた公式などが体の外に零れ落ちてしまったらしい。あまりの情けなさに耐えきれず、試験会場からトイレの個室に移動するが、くしゃみは止まらない。やがてくしゃみと共に零れる公式の量が増し、彼は気がおかしくなる。そこへ少年バットが現れ、襲われてしまう。噂話では、自殺だったということになっているらしい。

 

 

二、LDK:ファミールパレスの姑殺し事件

 

ある新婚カップルがマンションを購入して、姑との共同生活をしているという話。マンション購入資金の頭金を姑が出しているという状況から、嫁はあまり姑には強く物を言うことができない。いわゆる嫁姑問題である。

 

嫁が我慢できず、姑とケンカをしている最中に玄関のベルが鳴る。夫が帰ってきたと思った嫁は急いで玄関に向かうが、姑が彼女を追い越し、先に玄関を開けてしまう。するとそこに少年バットが現れる。結局は、先陣を着て玄関を開けた姑が少年バットに襲われたらしい。

 

 

三、EBM(Evidence-based Medicine):美栄子の友人の話

 

蜂谷レディスクリニックにて体外受精の治療を受けた夫婦の話。看護婦の手違いにより精子卵子共に他人のものを移植してしまったという物語なのだが、出産直前のエコー検査で、バットを持った子供の映像が映し出されたという非現実的は話である。

 

この話を聞いた他の主婦たちは「それは嘘よねェ」と言って、納得しない。

 

 

四、OH(オーヘンリー):あたしの妹の知り合いのいとこの娘さんの話

 

アメリカの作家、O・ヘンリーの物語「最後の一葉」と同じようなストーリーが語られる。だが、女性は絵を描いているところを見てしまい気を失う。男性は彼女が少年バットと一緒にいる所を目撃し、驚いて脚立から転げ落ちて死んでしまう。

 

「なんか、切ないわね…」一人がそう言うと、美栄子は「それって有名な話じゃないですか」と応じる。

 

 

五、HR:野球中継の話

 

アナウンサー:「九回裏ツーアウト、一打さよならの場面、ここまで好投を続けてきたピッチャーアブカワ、ついに相手打線に捕まりました…、ここで内野陣がマウンドに集まります…」

 

集まったチームメンバーは、それぞれが自分に都合のいい配球をするようピッチャーにアドバイスする。

 

「よ~し、アブカワ、最後は好きに放れ、すべてはお前に係ってる」

アブカワが正面を向くと、バッターボックスには少年バットが入っている。

 

噂話に興じる彼女たちの横を小太りな男が通りかかり、彼女たちに挨拶をする。彼は買い物袋を抱えている。

 

 

六、TKO:団地内の話

 

「だれ」

「アリヅカさんよ」

「…!何がどうなってあんなんなっちゃったの!」

 

アリヅカは、ボクサーとして厳しい食事制限とトレーニングに明け暮れていた。しかし少年バットによる食事の誘惑に負けたらしい、という話。

 

 

七、UMA:美栄子が思い出した食べ物の話

 

遭難者が無人島で100日過ごした頃、少年バットが海の中からやってくる、という話。

 

あまりに荒唐無稽なので奥様方から非難されるが「それなら…」と言って、次の話を披露する。

 

 

八、SOS

 

汚職がばれた政治家が、秘書に「少年バットを呼べ」と指示する。慌てふためく秘書の背後から少年バットが現れて、秘書が襲われる。

 

しかし、この話も奥様方に非難され、美栄子は肩身の狭い思いをする。彼女は絞り出すように最後の話を披露する。

 

 

九、HH:ロケット打ち上げ失敗の話

 

ロケット打ち上げに成功したかに思われたその直後、ロケット本体は爆発し、三本の燃料ブースターがバラバラの方向に飛んで行ってしまう。打ち上げスタッフが激しく動揺しているところに少年バットが現れて、一言「まいど」

 

 

十、ETC

 

夕方、美栄子が家の近くで空に漂う風船を見ている。彼女が自宅に帰ると、夫が血だらけで倒れている。慌てた彼女は「あなた!」と近づいて「あなた、どうしたの!一体どうしたの!」と叫ぶ。

 

夫が「少年バット」と絞り出すように話すと、彼女も「少年バット」と繰り返す。すると美栄子は薄ら笑いを浮かべて「ねぇ、どうやってやられたの、どうやってやられたのよ」と問いただす。

 

 

「きゅ、救急車」そう言うと夫は意識を失う。

「ねぇ、ねぇったら、どうやってやられたのよ、どうやってやられたのよ!」

 

 

第九話 まとめ

 

第八話に続いてこの第九話も、本筋のストーリーからはかなり離れた位置にあることが分ると思う。もちろん少年バット事件について語られるのだが、事の真偽についてはかなりいい加減なものが多い。しかし少年バット事件が様々な出来事とリンクすることで、広く世間に浸透している様子が良く伝わってくる。

 

噂話が増大し社会問題となったことがある。ある程度の年齢の方ならご存じだろう。そう、「口裂け女」の都市伝説である。すこし紐解いてみると、かなり古く(1754年)からこの話の元型となった伝説や出来事などがあるとされ、中華圏や韓国でも流行ったようだ。日本では、もちろん1979年春から夏にかけての流布がとても大きな社会問題となった。日本中の子供を震え上がらせたこの流言は、リアルタイムで今敏も体験しているはずである。

 

少年バットの事件が、様々な尾ひれを付けて世間に浸透していく姿は、まさにこの「口裂け女」の都市伝説を彷彿とさせる。衝撃的な犯人像、次から次へと伝えられる事件報道、誰もが抱える心の葛藤をエサに少年バットは現れ、事件を起こす。人々の歪んだ好奇心が少年バットに異様な力を与えて、彼は成長する。「口裂け女」もこのように成長したのかもしれない。

 

さてここからは、各ショートストーリーの持つ葛藤について検討を試みる。

 

 

一、IQ:記憶と忘却

 

受験生によくある葛藤だろう。知識の記憶と忘却とのバランスである。ちょっと細かい話をするが、一般的に情報を覚えることを「記憶する」というだろう。心理学では覚えることを記銘といい、その情報を潜在意識下で保持しつつ、必要な時に取り出すことを想起という。つまり記憶とは、これら三つの概念が一連の連携を経ることで、始めてその定着が完成すると考えるわけである。従って厳密に言えば「何となく覚えている」状態は記憶しているとはいえない。

 

さて、ツルタさんの息子はくしゃみをする度に覚えた公式が零れ落ちている。零れ落ちるのであるから保持しているわけではない。頑張っても、頑張っても、記憶の保持が出来ていない状態というわけである。見ていてなかなかシュールなのだが、彼は零れ落ちた知識の海で行き場を失い、少年バットを呼び寄せてしまうことになる。

 

では、ツルタさんの息子がとるべき選択肢はどのようなものが考えられたであろう。一つの解決策を言えば、それは「あきらめること」ではないだろうか。彼と同じように、受験を迎えようとしている方がおられるなら申し訳ないのだけれど、彼は覚えられないのに、かなり無理をしているように見える。

 

人間は忘却の生き物でもある。ちょっと背伸びをするだけなら成長へのステップとなるかもしれない。しかし自分に出来る範囲を逸脱してしまえば、周囲に迷惑をかけることになるだろうし、本人も苦しむことになる。

 

覚えたいのに覚えられない。しかしそうまでして目指しているのは、いい学校へ入ることであり、それはプライドによるものだといえるだろう。「IQ」は、そんな人間の記憶と忘却との間で、プライドが満たされない恐怖への葛藤を描いているといえるだろう。だからこそ「あきらめる」という選択肢を選ぶことができないのではないだろうか。

 

 

二、LDK:嫁・姑問題

 

とても分かりやすい嫁・姑問題であると思う。ただ、この物語には嫁と姑しか登場しておらず、夫・息子の立場である男性は出てこない。筆者である私は男性であるので、この物語に対してはいささか言及するのがはばかられる。

 

しかし、ここでも何かを「あきらめる」ことで、お互いの立場に変化が訪れるのではないかと感じてしまう。お嫁さんの立場で考えると「別居」や「離婚」あるいは「勤めに出る」という言葉が頭に浮かんでくるのではないだろうか。

 

嫌な相手と一緒に住むのはとても辛いことだ。お嫁さんにとっての問題は、ソリの合わない姑と一緒に、その息子である夫と何不自由なく生活してくことができるのか、ということだろう。夫婦だけでも大変だろうに…。

 

論理的に考えれば自ずと答えが出てくるのだと思うが、問題を難しくしているものがある。それは「感情」である。事実上、感情をコントロールすることはできないと思われるが、それに付随する思考回路はある程度操作可能であろう。そのような視点から、物事の考え方を見直そうとするのが認知行動療法という治療法である。

 

さて、ここで答え合わせをするつもりはないが、少年バットを引き寄せるような激しい葛藤に苦しむことは誰しもしたくはないだろう。ただ一つ言えることは「好き」や「嫌い」という感情は簡単に変えることができないが、考え方(思考)を変えることはいくらでもできるという事実である。

 

追い込まれることで、お嫁さんは視野狭窄の状態になっている。嫁姑問題はそう簡単に解決できるようなものではないと思うが、考え方を変えることでその後の流れが大きく変化することもあるのかもしれない。柔軟に考えれば、この夫婦・嫁姑問題は少年バットに襲われるような事態は避けられたのではないだろうか。

 

当然、お互いに引けない理由は「プライドが許さない」からだと思われる。葛藤の根底にあるのは「譲れないプライド」なのだろう。だからこそ「何かをあきらめる勇気」が必要なのではないか。

 

 

三、EBM:虚偽と真実

 

蜂谷医師が苦しんでいるのは、嘘をついてしまったという罪悪感に対してであろう。精子卵子の取違という、倫理的にも技術的にもあり得ないミスを犯してしまった医師の葛藤が、見ている者の心をえぐる。

 

命を預かる医師として、間違えてはならないことを間違えてしまったという、情けなさや自責の気持ち、そして医師としてのプライドが傷つくことへの恐怖がひしひしと伝わってくる。

 

いずれにしても、蜂谷医師が嘘をつかなければ、少年バットに襲われることもなかったであろう。ただし、医師としての責任は免れない。嘘はよろしくないのである。

 

 

四、OH:真実と小細工(裏切り)

 

O・ヘンリーの有名なショートストーリーを借用した創作であり「三、EBM」とテーマが似ている。女性は極めて純粋であるが、男性は絵を描いて小細工をしているという点において、虚偽よりさらに悪質といえるかもしれない。元の物語は感動的で美しいものなのだが、嘘を裏付けるために小細工をしている時点で、確信的な裏切り行為ともいえるだろう。

 

がん患者に真実の告知をするかどうかは、現代でもセンシティブな問題として、意見の分かれる所である。患者にとってどちらの選択が良いのかは難しい問題であるが、告知しないということは真実を避けることでもあるだろう。積極的虚偽ではないかもしれないが、決して真実に向かい合っているとはいい難い。

 

そうかと言って嘘をつくことは、多くの場合許されることではないことが現代では浸透している。いわゆるコンプライアンス(法令の遵守)という考え方である。新しい考え方を基にして言及するのは若干心苦しいのであるが、O・ヘンリーの時代では許されたのかもしれない様々な問題が、現代的なセンスでは「一発アウト」となるようなことも多々あるようだ。

 

 

五、HR:困惑と迷惑

 

新入社員が困難に直面した時、当然ベテランからのアドバイスを期待するだろう。しかしそのアドバイスが頓珍漢なもので、何一つ参考になるようなものではなかったとしたら…。

 

困難な状況だからこそ先輩の意見を聞きたいと思っても、そのアドバイスが的確なものとは限らない。場合によってはむしろ迷惑な場合もあるだろう。困惑している時の迷惑は。本当に腹立たしいものである。

 

このショートストーリーでは、どうしたらいいか分らないけど、やらなくてはならない立場に立たされた者の憤慨が良く表されている。困惑と迷惑と憤慨の入り乱れた状態が、このピッチャーの心理に渦を巻いているのである。

 

だが最後にキャッチャーがいいことを言っている。

「よ~し、アブカワ、最後は好きに放れ、すべてはお前に係ってる」

ただ“すべてはお前に係ってる”が抑圧的に感じられたのだろうか、彼もバッターボックスに少年バットを迎えてしまう。

 

このピッチャーにとっての葛藤はどのようなものだったのだろうか。突き詰めれば、それは試合の勝つことだ。だが、球種やコースに間違いがあれば、即逆転されてしまう。「勝利投手にならなければ…」これが彼に葛藤を与えているのだ。これも「勝たなければならない」というプライドの成せることなのだろう。

 

 

六、TKO:断食と過食

 

これは単純明快、ダイエットの物語である。少年バットによる誘惑に負け、アリヅカは過食に陥る。当然ながら拒食や過食という障害もあり、深刻なケースも多々あるのだが、ここではその話は避けておこう。

 

アリヅカがなぜ断食をしているのかというと、それは試合に出るためだろう。試合で勝利を挙げ、チャンピオンを目指しているのが一般的な解釈として正しいような気がする。そう考えると、アリヅカは食欲に負けた、ということになってしまうだろう。

 

しかしアリヅカは、どうやら少年バットに襲われてはいないようである。つまり「あきらめる」ことで、襲撃から逃れることができたのである。その分、太ってしまったが…。

 

今まで何度となく触れてきた「あきらめる」ことで、彼の人生が新しいものになったとは考えられないだろうか。プライドを捨てることで葛藤がなくなったのである。いいか悪いかは別にして…。いずれにしても、彼は幸せそうである。

 

 

七、UMA:生存欲求

 

六の話を受けて美栄子が語る物語なのだが、要は飢えた人の所に少年バットが現れるという話である。ここで表現されている葛藤は「食べるものが無くて、食べたいのに食べられない」ということだろう。

 

「TKO」のテーマは「食べるものはあるのに、食べてはいけない」というものだった。葛藤から解放されるには「あきらめればいい」と幾度となく書いたが「UMA」のシチュエーションではあきらめると死ぬことになる。

 

しかしある主婦から「ちょっと何よそれ!適当なこと言ってんじゃないわよ、あんた!」と言われるように、この設定にはかなり無理がある。というより「食べ物が無くても生きたい!」という遭難者の心に寄り添えば、少年バットの出る幕ではないように感じられる。

 

今までの取り上げてきた少年バット事件は、どれもプライドにより抱えきれなくなった個人的な問題に起因する葛藤の物語である。もちろん生きることそれ自体が葛藤であるとも考えられるが、過酷な条件の中で、必死に生きようとしえいる者の中にある葛藤は、個人的なプライドの問題とは、かなり異質なものといえるのではないだろうか。

 

主婦が反応したこの物語の違和感は、そういったところにあるような気がする。みなさんはどのように感じられただろうか。

 

 

八、SOS:ビジネス

 

「UMA」と同じように、この話も個人的葛藤からはかけ離れている。何のために呼ぼうとしているのか分らないが、少年バットをヒットマンとでも考えているのだろうか。

 

また、ゴリ押しされている秘書は葛藤状態にあるように見えるが、考えてみれば、無神経なボスに無理なことを押し付けられているに過ぎない。プライドが邪魔しているというより、ただ単純に少年バットをどうやって呼んだらいいのか分らないだけだろう。

 

ここでも美栄子はホットな話題を提供することができず、責められてしまう。

 

 

九、HH:集団葛藤

 

映像からははっきりしないが、恐らく美栄子が最後に話したストーリーで、ロケット打ち上げの失敗による葛藤状態が描かれている。今までは個人的葛藤の数々が描かれてきたが、ここでは初めて集団的葛藤が取り上げられている。

 

日本のロケット打ち上げ組織としてはJAXA宇宙航空研究開発機構)が連想されるだろう。最近ではロケット打ち上げの成功率も確かなものとなったが、筆者が子供の頃は結構失敗したものだ。現在ではほぼ100%に近いぐらいの成功率ではないだろうか。

 

失敗すれば国民からの非難が浴びせられるだろうし、責任者は何らかの責任を取らされるのだろう。しかし、一人一人の職員は責任がかなり等しく分散されると思うので、あまり重荷には感じられないのではないか。詳しくは分らないが…。成功しても「良くやった」という程度しか、今は言われないのかもしれない。

 

集団を扱うのが社会心理学というわけなのだが、個人的は葛藤からは少し離れることになる。しかし集団を「一つの対象」と考えれば、少年バットがドアを開けて職員一同に「まいど」と挨拶をするのも分らなくはない。組織としてのプライドが葛藤状態になることに対して、彼はしっかりと仕事をしているように見える。この辺のことは、みなさんどのように感じられるだろうか。

 

 

十、ETC:見栄

 

美栄子は井戸端会議を終え帰宅する。玄関ドアを開けると夫が血まみれで倒れているのだが、少年バットにやられたことを聞いて、彼女はほくそ笑む。話のネタにするために、どうやってやられたのかを執拗に夫の尋ねるのである。先ずやるべきは救急車を呼ぶことだろうに。

 

ただ、彼女は少年バットに襲われてはいないし、これからも襲われるようなことはないような気がする。彼女は葛藤に苦しんでいるのではなく、ホットなニュースに接して嬉々としているに過ぎない。何ともブラックなストーリーである。

 

ところで美栄子という名前なのだが「ミエコ」という響きから「見栄」つまり「見栄を張る子」という意味合いが読み取れるだろう。第九話では葛藤の原因を見栄(高いプライド守ろうとして起こる現象)によるものとして扱っているのである。

 

 

さて、全十篇のストーリーについて少しずつ触れてきたが、思いのほか書き込む内容が多くなってしまった。冒頭で述べたように、ここでの話は噂話でしかなく、実際にあった話を話題にしているわけではない。

 

しかしまとめの冒頭で述べたように、人々の歪んだ好奇心が心の奥にあるおどろおどろしい情念や葛藤を増幅し、手に負えないような怪物へと変貌させてしまうことは、かつての経験からも分るとおり、いつの時代でも起こり得るものなのだ。その話題に触れるたびに奴は成長を続ける、ということなのだろう。

 

 

では、今回はこのあたりで。

 

 


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