48、心理学で読み解くアニメの世界

          ユング心理学で読むアニメの世界

              「妄想代理人

 

 

第八話 明るい家族計画

 

一、待ち合わせ

 

駅前広場らしき所に、初老の紳士とむっちりとした大柄の男性が現れる。彼らは誰かを探しているようにキョロキョロと周りを見回しているのだが、やがてお互いを認識する。

 

もう一人待っているらしいのだが、それらしい人物はまだあどけない女の子のようである。彼らはマロミのリュックを目印にしているらく、リュックを背負った女の子を観察していると、気づいた彼女も二人をじっと見つめ返す。

 

カモメ:「あぁ、ゼブラ!冬蜂(フユバチ)!」

 

冬蜂というニックネームを持つ初老の紳士は「これはまずい」と思ったのか、その場から逃げるように離れる。が、しかし、ゼブラ(大柄の男)と手を繋いで、カモメ(女の子)が楽しそうに冬蜂の後をつけてくる。やがてゼブラもカモメから離れるように冬蜂の後を追いかける。

 

カモメ:「ちょっ、ちょっ、ちょっと、どこ行くのさ!」

 

 

二、練炭自殺

 

カモメを巻いた二人は歩道で休息をとる。冬蜂は「最後の一錠ですか」と言って、瓶に入った錠剤らしきものを口に含む(※注1)。すると、冬蜂の携帯が鳴る。カモメからの連絡であるが、冬蜂は「ごめんね」と言って着信を切る。しかしカモメは、近くの歩道橋から二人の様子を見つめている。

 

夜、ゼブラと冬蜂は解体直前の古いビルの中に入って練炭自殺を試みる。お互いに用意した睡眠薬と思しき薬をガリガリと音を立てて口に入れ、そのまま一夜を過ごすことにしているらしい。

ゼブラ:「カモメちゃん、悪いことしちゃったかな」

冬蜂:「な~に、カモメ君は死ぬにはまだまだ若すぎます、後で化けて出て謝りましょう」

 

すると、今度はゼブラの携帯が鳴る。

「は~い」

「もちもち…」

「えっ」

 

「ゼブラちゃん、えへへへへ、カモメはここだよ、ほら~、あたしを、置いていくな!」そう言うとカモメはマロミのリュックを冬蜂に投げつける。もう一度リュックをつかむと、今度はゼブラに投げようとする。だがその瞬間、重機による建物の解体が始まり、彼らはその場を離れることになる。

 

冬蜂:「何とも間の悪い」

ゼブラ:「出直しますか、邪魔も入ったことだし」

カモメ:「いやだ、いやだ、いやだいやだ、カモメも死ぬ、みんなと死ぬもん」

そう言うと、カモメは泣き出す。

 

 

三、飛び込み自殺

 

冬蜂:「な~に、心配にゃ及ばんさ、万が一の時の為に、次善の策は用意しておきました」

 

彼らは、街を歩き地下鉄の構内へとやってくる。飛び込むための打ち合わせをして、列車がホームに入ってくるタイミングを待っている。だがしかし、それよりも早いタイミングで他の人が飛び込み自殺を図る。

 

カモメ:「あっちゃー、電車に引かれちゃうとこうなるんだー」

冬蜂:「う~む」

ゼブラ:「飛び込みは、ちょっと美しくないかもですね」

 

彼らがその場から離れようとすると、飛び込んだ自殺志願者が足を引きずり「参った参った、思ったより痛いよ、これ」と言いながら、改札へと向かう。

 

 

四、首つり

 

「なかなか死ねないね」三人は公園のベンチで、いろいろな死に方について話し合っている。その時間は彼らにとって楽しい時間でもある。すると、おもむろにカモメが呟く。

 

「電車、乗りたかったな、電車に乗って、遠くへ行きたかったな」

 

冬蜂:「よーし、乗るかね、電車」

カモメ:「「えっ」

ゼブラ:「そうですよ、行きましょう、遠くへ」

 

カモメは喜ぶ。三人は電車に乗り、あてのない旅に出る。眠っている冬蜂にちょっかいを出すカモメ。すると冬蜂は「サヨ、サヨ」と呟く。冬蜂が持っている千歳あめが何かを暗示しているだろうか。

 

夕方になり、三人は田舎の川のほとりを歩いている。冬蜂とゼブラは示し合わせて、大きな木の枝にロープを三本掛ける。日も暮れて、準備が出来ると彼らは首つりを実行に移す。

 

しかし遊び半分にカモメが勢いをつけると木の枝が折れ、ゼブラと冬蜂が斜面を転げ落ちてしまう。そしてカモメはその場に取り残されてしまう。

 

死ぬ思いをした二人は、呼びかけるカモメに答えるのを止めようとする。「この方がいいんだ、あの子の為には」冬蜂はそう訴える。しかしゼブラは「あぁ、でもこんな山奥で遭難すると、確実に死ぬかも」と答える。

 

慌てて二人は斜面を駆け上り、降りようとするカモメを見つける。「おいて行っちゃいやだ!一人はいやだよ!」と言うカモメの言葉に、冬蜂はハッとする。

 

カモメは冬蜂に背負われながら「ねぇ、冬蜂、お腹すいちゃった」と甘える。すると冬蜂は「お食べ」と言って千歳あめを渡す。その様子を見ていたゼブラが「お~い、こっちこっち」と言って二人を手招きする。

 

三人は宿を見つけ温泉に入りくつろぎの時間を過ごす。冬蜂は「極楽ですな、いや~まさに極楽、非常に愉快…な、…愉快?、…いかん!これではまるで…」と言って、何か危機的感情が呼び起こされる。

 

程なく、彼らは夕食の時間を迎え、その際冬蜂が少年バットについての話を始める。

 

冬蜂:「フォックス君は、少年バットに殺されたんだってね」

ゼブラ:「少年バットと言うと、あの通り魔の、捕まって留置場で自殺した」

冬蜂:「いやいや、捕まったのは偽物で、その偽物がフォックス君らしいんだよ」

カモメ:「ふ~ん、警察の中で殺されたっていう事なの、少年バットに」

 

冬蜂:「さ~、壁をすり抜けて現れたっていう話だけど…」

ゼブラ:「いいな~、死ねて」

「そうだよね」

 

冬蜂:「追いつめられた人の所にやってくるなら、とっくにわしらの所にも…」

「いいよな」

「やっぱりいいよな」

 

 

五、少年バット

 

三人が寝床について眠ろうとしている時、宿にいる他の客のところに少年バットが現れる。カモメは思わず「本物ですか」と尋ねる。少年バットは彼らに一瞬襲いかかろうとするが、カモメとゼブラは逆に「会いたかったよ~」と言って少年バットに近づこうとする。少年バットは慌てて逃げだすが、二人は急いで後を追いかける。冬蜂も彼らに続く。

 

一夜が明けてコンビニの前でゼブラとカモメは昨夜のことを語り合う。冬蜂は薬の入った瓶を取り出し、最後の一錠を見つめる(※注2)。冬蜂は最後の一粒が元に戻っていることに気がつき、さらにゼブラとカモメの姿に「影」が無いことに気がつく。そして自分にも「影」が無いことに気づいてしまう。

 

 

六、新しい旅

 

冬蜂:「よ~し、行きますか」

かもめ:「えっ、どこへ」

冬蜂:「遠くへ」

かもめ:「また、電車に乗る」

冬蜂:「新幹線に乗ろうか」

かもめ:「いやった~」

 

三人は歌いながら田舎の町を歩く。途中、記念撮影をしている女性たちの背後でポーズをとる。どうやらその写真には普通ではありえないような映像が映っているようである。

 

三人はさらに歩き続ける。

 

 

第八話 まとめ

 

この回と以降の二話は、一連のストーリーの中からは独立したものとなっている。鷺月子、猪狩、馬庭のストーリーを本筋と考えれば、ここからの三話は、そこから派生し世間に浸透していく少年バットの物語が、オムニバスストーリーのように語られることになる。特にこの回は、少年バットの恐怖より、家族に焦点をあてた物語となっている。

 

 

一、影法師

 

一見するとこの物語は、ネットで知り合った者同士が、集団自殺の為に集まったような印象があるだろう。実際そのように描かれている。しかし全体を視聴した後では、どう考えても、どこか妙におかしく感じられるのではないだろうか。

 

一番ハッとする場面は、サラリーマンが電車に身投げする場面かと思われるが、心理的な面で言うと、少年バットを追いかけた翌日、コンビニの駐車場で買い物客とゼブラ、かもめとの違いに冬蜂が気づく場面だろう。つまり買い物客には影があるがゼブラ、かもめには影が無い。そして冬蜂は自分自身にも影が無いことに気づく場面である。

 

影が無いとはどういう意味だろうか…。つまり彼らは、すでにこの世のものではないという事だろう。そういう視点で見てみると、各部をもう少し詳しく検討したくなるものだ。では、いつから影が無かったのか…。もう一度初めから見直すと、ある所から影の書き込みが無くなっていることが分る。

 

先ず駅前広場の円形花壇と思われる構造物の横で、かもめがジュースらしきものを飲みながら二人に気づく場面がある。いわゆる出会いのシーンであるが、背後を歩く人には影があるが、かもめには影が描かれていない。かもめには光が当たっているので、位置的に影が見えるような場面なのだが、ここでは描かれていない。

 

その後、ゼブラとカモメが手を繋いで冬蜂の後を歩いているシーンも同様である。三人共に光が当たっているが、影は描かれていない。

 

しかしゼブラ、冬蜂が小走りにかもめから逃げるシーンでは、木漏れ日の中に二人の影がはっきりと書き込まれている。この時点では生きていたことになるだろう。さらに、歩道でかもめからの着信を切るシーンでは、冬蜂の影らしきものがはっきりと描かれている(※注1:最後の薬を飲む場面)。そして最初の自殺現場、解体を待つ古いビルの場面へと進んで行く。

 

ビル解体の場面の後、彼らは工事現場の前で寝転んでいるのだが、これは極めて不可解な映像ではないだろうか。つまりは、昨夜の練炭自殺が成功したことになるのだろう。これ以降、彼らの周辺で変なことが起こり始めるのである。

 

 

二、成功しない自殺

 

練炭自殺に失敗したと思った三人は、地下鉄の構内に向かう。飛び込みである。しかし自分達より先にサラリーマンが飛び込みをしてしまい、その結果の悲惨さを目の当たりにして、彼らは飛び込みを思いとどまる。その後、飛び込みした人物が「参った参った、思ったより痛いよ、これ」と言っているあたりは大変シュールである。実はその人物も成功したのであろう。彼にも影が無い

 

三人は電車に乗り、遠くへ出かけることにする。冬蜂は高齢なので電車に乗ると車内でぐっすり眠ってしまう。それを見たかもめがいたずらをしようとちょっかいを出すと、冬蜂は「サヨ、サヨ」と呟く。当然と言えば当然なのだが、実は三人それぞれが、自殺したいと思うような何かしら大きなものを抱えていることが暗示されている。それについては「三、それぞれが抱えるもの」で取り上げたい。

 

川に沿って山の奥深くに進む三人は、次の方法を試みる。首つりである。ゼブラはかもめが助かるようにロープに切れ込みを入れるのだが、いずれにしても上手くいかない。ゼブラ、冬蜂は斜面を転げ落ち、かもめと離れてしまう。その時かもめは「おいて行っちゃいやだ!一人はいやだよ!」と心の内を叫ぶ。これは彼女が抱えている問題なのだろう。

 

同様に、ゼブラにとっての問題は、落としたロケットの中にあると言える。彼の恋人は男性、つまり同性愛者であるということかもしれない。三者三様の課題を抱えているということだ。結局、ここでも目的を果たすことができない。

 

最後、旅館で眠りに就こうとしている時に、三人は少年バットと出会う。死んでしまいたい三人は少年バットに詰め寄るが、彼は逃げ出してしまう。追い込まれて激しい葛藤に苦しんでいる者の所に現れるのであって、三人はすでにこの世の者ではないし、生と死の葛藤を抱えている訳でもない。彼らは最後のチャンスも逃してしまう。

 

翌日、冬蜂が自分たちはすでに死んでいることを自覚してからは、三人の行動が大きく変わっていく。死ぬための行動ではなく、楽しむための行動への変容である。それはあたかも、かつて経験できなかった家族との楽しい思い出を、もう一度作り直すかのようなものだったと言えるかもしれない。

 

 

三、それぞれが抱えるもの

 

冬蜂は千歳あめを持ってやってきている。また、電車内でかもめにいたずらされて「サヨ、サヨ」と呟いたりもしている。これは想像でしかないのだが、冬蜂はかもめぐらいの女に子を若い時に亡くしているのかもしれない。かもめの「おいて行っちゃいやだ!一人はいやだよ!」という言葉に、目を見開いて反応している姿は何かを訴えかけてくる。

 

また、この言葉はかもめの抱える課題でもあるかもしれない。明るく振る舞っているが、子どもが死にたいと感じることは相当な心的ダメージがあったと考えられる。連想されるのはネグレクトのようなものなのだが、その経緯などが詳しく語られることは無い。

 

ではゼブラはどうだろうか。彼は同性愛者として描かれているが、そのことを苦にして自殺を願ったのかは分らない。恋愛による葛藤と考えることも出来るだろう。いずれにしてもネット掲示板で知り合い、意気投合した彼らは一人ではなく、三人で死ぬことを選んだのである。それはお互いに分り合えたと思ったからではないだろうか。

 

 

四、もう一つの「東京ゴッドファーザーズ

 

第八話のタイトルに「明るい家族計画」とある。つまり作者の今敏は、三人を疑似家族として捉えているように感じられる。現実社会からドロップアウトした三人ではあるが、心の中ではお互いに支え合い、認め合いながら死後の世界を生きようとしている。それが彼らの魂の在り方としてふさわしいかは分らないが、お互いが他者との関わりの中で、自ら気づきを得ていくことが大切なのではないかと感じたりもするのだが、いかがであろうか。

 

ところで、今敏監督作品に「東京ゴッドファーザーズ」という作品があるのだが、ご存じであろうか。今の作品に関心を持たれている方々ならきっとご存じであろう。三人のホームレスが赤ちゃんを拾うことで、疑似家族的な関わりを持つようになり、その中でさまざまな人生の局面を学び、やがてそれぞれの家族の在り方を学んでいくという物語である。

 

家族とは、お互いに安らぎと温もりを与えてくれる関係性の中にあると考えられるが、ときどき苦しみを生む存在でもあり得る。そんな時はその家族を離れ、信頼のおける他者と疑似家族を作ることで、自分をもう一度見つめ直すことができるのではないかと考えてみる。「東京ゴッドファーザーズ」と「妄想代理人・第八話」は、今敏にとっての家族の在り方を示す、一つのジャンルと言えるかもしれない。

 

東京ゴッドファーザーズ」は、この「妄想代理人」の一年前に公開されている。かなり近い時期に発表されているので、お互いに重なり合い干渉し合っているのではないかと思うので、是非ご覧いただきたい。ちなみに「東京ゴッドファーザーズ」もこの勉強会で企画したのだが、コロナの影響で、まだ取り上げることができていない。いずれ取り上げたいと思っている。

 

 

さて、今回は「東京ゴッドファーザーズ」との関連から、若干詳細に第八話について記述してみた。今敏が考える「家族」という概念について、また実体を現す「影法師」の役割などについて、いろいろ検討してきたつもりである。この作品をご覧になったみなさまから、是非ご意見をうかがいたいものである。どのようなご感想を持たれただろうか。

 

では、今回はこのあたりで。

 

 


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